| 2007年02月11日(日) |
負けるとわかっていたゲーム |
彼は藤原伊織さんの小説は「蚊トンボ白髭の冒険」一冊しか読んだことがなかった。友人が執拗に他のものも読めと勧めるので「テロリストのパラソル」を読み始めた。まだ四分の一にも達しない程度なのだけれど、彼は夢中になっている。 百万遍交差点での京大入試粉砕闘争、すなわち市電軌道内を投石が埋め尽くした日。それがごく短く語られていた。
あれは1969年から1970年の頃だとおもう。ネットで調べればすぐに分かるだろうけれど、彼は調べる気にもなれない。いずれにしろそのころだ。
その当事者たちよりも5つか6つ年下だった彼はその隊列にいたのだろうか。 数日後、彼はその様子を目撃した友人が目を輝かせて「百万遍カルチェラタン」と語っていたことを思い出す。
彼は思う。 藤原伊織さんが書いているように「闘争」は「負けるとわかっていたゲーム」だったのかもしれない。東京の大学から京都の大学へ入り直した彼の四つ年上の先輩が「河原町で女の子をナンパするのも隊列組んで今出川を蛇行するのも質は一緒」といっていた。 その数年前なら全身暴力装置と化した誰かに殴られていたであろう発言が、静かに、その場にいたみんなの胸に吸い込まれていった。 彼がキャンパスにいたときはすでにそうだった。
「カルチェラタン」。きれいな言葉。それだけ。
彼は高校の時から、そして進学をしてからもキャンパスから離れ、一人のギタリストを追っていた。京都の様々なライブハウス関係者の間で、ギタリストのいたグループほど毀誉褒貶の激しいバンドはなかった。やがて東京でも有名になるにしたがって、京都では反発する人間が増えていった。
アンファン・テリブル。 そのままだった。 人を揺さぶる力を「暴力」というのなら、そのギターは暴力そのものだった。 やがてバンドは空中分解する。
壊すのはいい。だけどその後どうする。 結局、それだ。いつでも。どの場面でも。最後まで。 リアルな生活とリアルな肉体が「あなた」を裏切り続ける。 結局、彼はギタリストを見失い、壊れ続ける自分を見つめる以外に何もできなくなった。
そこから初めてきちんと生きはじめたのかもしれない。
彼は「テロリストのパラソル」に戻っていく。 短いピッチの歯切れのいい文章が続く。
|