| 2006年07月15日(土) |
土曜日、宇野千代さんの言葉に出会う。 |
朝、五時前に起き出し、机を拭き、部屋を掃除し、珈琲を淹れて、飲みながら昨日の日記の手直しをして本を読んだ。こんなに早くから本を読んだのは久しぶり。 小さい音でケニー・バレルのソウル・ラメントをかけていたんだけれど、すっとしみてきた。
読んでいたのは白洲正子さんの絵に関するエッセイ。今、京都では藤田嗣司展とルーヴル展が開催されているけれど、たまらなく日本画が観たくなった。 部屋には竹林柚宇さんの絵が掛けてあって、それは行く先々へ持ち歩き、置き直してはいつも視界にはいるようにしている。今日はその絵があって本当に良かったと思った。
白洲さんのエッセイには「弱虫」「なまけもの」という言葉がよく出てくる。率直な励ましとして響いてくる。
原稿用紙を200枚積んで、誰かの作品を書写しようと考えた。 文体のことで随分揺れていて、凡人である我が身故に、作家を一人定めてもう一度自分の文体の基礎から作り直そうと考えたのである。
そういうことをしない人も多い。やらない人のほうがたぶん多いんじゃないか。 ここのところ「能」に関する文章ばかり読んでいて、かたちの大事さを知ったのと、自分の文章をさらによくしたいという欲が出たのだ。
好きな作家の文体で書いていくというのなら、車谷さんや春樹さん風の文体を選べばよい。だけどそれをしたらそこで終わる。 高橋源一郎さんのように何通りもの文体を自在に操れるほど優秀ではないから、愚直なまでに自分の文体でいくしかないということはわかっている。
ただ自分の文体を決定するための骨格として、これと定めた先人の文章を書き写す作業をなすことは、一種の伝統でもある。
明治以降、文語と口語に分裂した「国家の言葉」をまとめ上げてきたのは口語で書いた小説家なのである。詩人でも政治家でもない。まして国語学者でもない。 踏襲すべき流れがそこにはあると考える。
と、そこまで考えてさて誰を、となった。心の中ではほとんど森鴎外と決めていたのだけれど、漱石も百鬼園も三島も谷崎もと次から次と出てくる。 困った。 白洲さんの「弱虫」という言葉がアタマを掠めた。
落ち着いたのは宇野千代さんの言葉を読んでからだった。 宇野さんは諭すようにこう書いておられた。 とにかく机の前に坐りなさい。坐るのが習慣になったら忽ち書くのです、と。
これはこの宇野さんの文章にも出てくる人形師の方もそうだったし、白洲さんの著書に出てくる能面打ちの方も同様であった。 いつでもすぐに「坐る」。坐ると途端に作業を始める。この繰り返し。 「職人」なのだ。
男性による幾多の「文章読本」に比べて宇野さんの言葉にはなんの「けれんみ」もない。つまらない欲がない。いちばん実際的であるとさえいえる。 あ、そうだったと何かをおもいだした。
また宇野さんのこの言葉を紹介しているのが吉行淳之介さんで、なぜかすとんと腑に落ちるものがあった。
毎日の繰り返し。凡人たる自分にはそれしかない。 原稿用紙に書き写す作業はつまり「呼吸」をまねることである。能が結局、形を受け継ぐのと何ら変わるところはない。
個性がどうの、というのは自分の決めることではない。読む人が決めることだ。 たゆまず書いていこう。
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