今日は2006年6月6日。「6,6,6」の並びは映画「オーメン」でお馴染みの「悪魔の子ダミアン」を象徴する数字だった。
その続編が今日公開、と朝からCMが流れていた。 キリスト教文化の国々では見かけ以上にセンセーショナルなのかもしれないけれど、 非キリスト教(非宗教?)の日本では恐怖映画の定番としてひたすら怖がられ、そして忘れ去られるのだろう。
「ダ・ヴィンチ・コード」のように、欧米ではキリスト教の本源的な姿や教えへの渇望が地下水脈のようにあって、それが最近噴出してきているように思える。 教会が中世を通してキリストの教えをねじ曲げたのではないかという疑義はつきない。所謂、異端の認定にしても魔女狩りにしてもすべて教会の権威強化のために行われてきたからだ。 地上から消された書物や殺された人の存在は隠しようがない。
そんな今日、ナショナル・ジオグラフィックからパンフレットが届いた。 昔、しばらく定期購読していたのだけれどバックナンバーが結構場所をとってしまうから購読を止めていたのだ。 その再開を促すパンフだったのだけれど、現在、ナショナル・ジオグラフィックの研究成果として 最もプッシュしているのが「ユダの福音書」なのだった。
キリストの弟子の中でキリストを売った男、ユダ。 キリスト教徒が最も忌み嫌う男が実はキリストと密約を結んでいて… という内容のようだ。 そもそもこの文書が発見されるということ自体が奇蹟といえるだろう。 ローマンカソリックや各宗派はどういう反応をしているのか知らないけれど、 ナショジオのことだから微かなところまできっちり裏をとっていると思う。 いままでも何度か歴史的な発掘の実績もあるのだし。 目次を読んでいると、とても逆説的な魂の解脱について書かれているようである。
まさかこの日を選んでこのDMを送ったのではないだろうけれど、妙に気になる。
さて「六」のつく日。 京都では「六」のつく日に稽古事を始めるとものになるという言い伝えが昔から残っている。 罪がない。
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