| 2006年05月08日(月) |
「制作プロセス」を考えれば |
何気なく読んだ吉行淳之介自選作品集に「作品と制作プロセス」と題したエッセイが収録されていた。
簡単にまとめてしまえば、それぞれの流儀で書けばいい、ということなのだ。 作品がすべてなのであって、プロセスは関係ない、と。
それに続いて「私の能率学」というエッセイ。 例えば50枚の小説を書いたとして、実はなかなか書けずに七転八倒していて、締め切りの5日前から前日までに33枚書き、ぎりぎりの最後に印刷所で21枚書いたとしても、「1日で21枚書いた」とはならないんだ、と。 つまり一行も書いていないあいだも、ずっとその作品のことばかり考え続けていたのだから「書いた時間」になるのだ、と。気にかかっていた時間を入れればもっとはるかに長い時間をかけて「書き上げた」ことになる。
実を言うと、その吉行さんのエッセイは、PCを開き、一太郎を起ち上げ、書きかけの作品を書こうとして書けず、ずるずると横にあった本を開けてしまい、読み出してしまったのだ。 「書けない」というより、ぼくの場合は集中力の問題だな。
ちなみに <バルザックの傑作長編は、煮詰めたような珈琲をがぶがぶ飲みながら、短い日数で書き上げられたものだと聞く。> と、紹介されてもいる。
ちなみに吉行さんは <長編小説を書く時には随筆その他短文は書かない>という。 持続してきた感興が中断されるからだそうだ。
ぼくの場合、執筆で生計を立てているわけではないし、時間的にも場所的にも制約がある。 1日数枚、こつこつ。それしかあんめえ。
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