散歩主義

2006年02月19日(日) トニオ・クレーゲル

谷崎潤一郎を耽読し、宮本輝さんの著作も読み出していた矢先に
再び元々耽読していた作家の本が現れた。場所は本棚。偶然でてきたのは吉行淳之介さんの本だった。
少し前に偶然発見したのも吉行淳之介・編の「文章読本」だった。
と、ここまで書いて偶然も何もあるものか、つまりはそれだけ吉行さんの本があるわけじゃないかと自分に呆れてしまう。

出てきたのは「私の文学放浪」。なんと昭和50年の角川文庫。ぼろぼろである。紙が焦げたようになっている。ひどいなあ。このころの書籍用紙が酷いのかそれとも文庫本の紙はそもそも安物なのかそれはわからないけれど、茶色に変色し印字も見にくくなっている。即座にページを開いていった。

見つける、開く、という一連の動作はもはや条件反射である。吉行淳之介作品に関しては特にそうだ。そして読み耽る…。

「文学放浪」は自伝的要素が強い。なにを読みなにを書いたか、誰がいたのか、どこにいたのかというドキュメントとしてもおもしろい。

もう一つの特徴は吉行淳之介という作家を形作った様々な要素がずらりと提示されていてそれがさらに面白い。

ぼくは、作品を読むたびに吉行さんは基本的に詩人だとずっと思っていたのだけれど、それはやはりそのとおりで、創作のスタートが詩であり、同書で述べられている萩原朔太郎への「熱い共感」などにそれは現れていると思う。

そんな吉行さんが詩から散文へとスタイルを変えていく。
「散文でなければ表現し得ないもの」に傾倒されていくのだ。

ところで手持ちの「吉行淳之介自選作品集」にも「私の文学放浪」は再録されているのだけれど、これは「抄」であり、いくつかの部分が削られている。たとえば新潮社と一時期絶縁状態になった原因の、スキャンダラスな記事の顛末の部分であるとか、ある時期の文壇の人間模様などである。

だから完全な形の「私の文学放浪」は角川文庫の文庫本か、亡くなられてから新潮社から出された「吉行淳之介全集」(全15巻)にしかない。
さらにもっと重要だと思っている「拾遺・文学放浪」というエッセーをぼくは文庫でしか読めない。(「全集」では第8巻にあるはずである。)

ここから断片的に書いてみたい。覚え書きである。

●吉行さんは明晰さを好んだ。
『私は明晰なものしか信用しない。一枚で書けることに、十枚費やすのも芸の一つであるがその場合も明晰でなくてはならない。ただし私自身は一枚で書けることは一枚で書くように心がけている』

●今回、再読していちばん驚いたのは吉行淳之介という作家がオーネット・コールマンがよい、と書いていること。しかもそうだそうだと一緒になって盛り上がっているのが高見順だということ。これには心底驚いた。
オーネット・コールマンとは孤立無援のフリー・ジャズの開拓者である。

むしろ上記の二人より若い世代の人に信奉者が多い。例えばパット・メセニーがそうだ。彼はオーネットとの共演を果たしており、その作品をぼくは名盤だと思っている。
日本ではピアノの大西順子。彼女は自分のフェヴァリットのひとりだとデヴュー当初から発言し、実際彼の曲を演奏もしている。

しかしほとんどオンタイムでふたりの日本の作家が支持していたとは…。
よくよく考えてみると「原色の街」に書かれるなんともシュールな一節などは通じるものがある。

ちなみによく知られているところでは吉行さんの大好きな画家はパウル・クレー、音楽はドビュッシーである。クレーの絵を音楽にすればドビュッシーになるという発言がある。それとショパン。
東京が空襲された時、吉行さんはショパンのレコードを持って逃げた。

●次に引用するものが吉行淳之介の骨となり滋養になった。たぶんぼくは何度も読み返すことだろう。

『春は仕事がやりにくい。たしかにそうです。でもなぜでしょう。
それは感じるからですよ。芸術家は感じやすいものだ、などと思っている連中は、のろまの証拠ですよ。ほんものの正真正銘の芸術家は、えせ芸術家のそういう罪のない思いこみに対してただ微笑を浮かべるだけです………憂鬱な微笑かもしれませんが、ただ微笑するだけです。つまり、口で言えるようなことは、断じて肝心要(かなめ)なことであるはずがなく、それ自体どうでもいいような素材にすぎないということです。

ただそういう素材は余裕綽々たる悠然とした優越さのうちにはじめて美的形象に形造られていくものです。口で言うべきこともあまり重大に考えたり、そのために胸をどきどきさせたりすれば、あなたはきっと完全な失敗を招くことでしょう。あなたはパセチックになり、感傷的になり、あなたの手になる作品は、鈍重で、四角四面で、こなれが悪く、アイロニーが無く、無味乾燥で、退屈で、陳腐なものになるでしょう。
(略)
感情というものは、暖かい実のこもった感情というものはいつの場合も陳腐で使いものにならない。芸術的と呼べるのは、わたしたちのそこなわれた、職人的な神経組織が感じる焦燥か冷たい忘我だけなのです。まず、超人間的で非人間的な存在になり、人間的なものに対して、奇妙にかけ離れた、冷ややかな関係に立つ必要があります。でなければ、人間的なものを演じたり、それを手玉にとったり、効果的に趣味豊かに表現なんてできません。だいいちそんな気になりさえしません。

様式や形式や表現の才というものは、まず人間的なものに対する気むずかしい関係を前提とします。さらにいえば、一種の人間的な貧困と荒廃を前提とするのです。
なぜなら健全で強靱な感情というものは、どこまでいっても無趣味なものだからです。そういうものなんです。芸術家が人間になって、感じ始めたら、もうおしまいです
(略)     』

(「トニオ・クレーゲル」・ト=マス・マンより。福田宏年・訳)

これを受けて吉行さんは次のように書く。
『ここで誤解してはならないのは、トーマス・マンが感じやすくない人間ではなくて、おそらく人一倍感じやすい人間だったに違いないという点である。ただその感じやすさが、創作の上で害になることを述べているわけで、人間として感受性が豊かで感覚が鋭くなくては芸術家にはなれない。ただし、その感受性感覚をいったん扼殺して地面に埋め、そこから出た芽をマンのいうような眼と姿勢と手つきで育てていって花を咲かすべきである、という意見が省略されている、と考えなくてはなるまい』

このあと吉行さんは「抒情詩人の扼殺」というエッセイを書かれる。
荒川洋治さんが宮沢賢治ブームを罵倒した詩を書く遙か前に、詩人は扼殺されていたことになる。
荒川さんの意図がトーマス・マンの一節を読んでいて脳裏に浮かび上がってきた。まさにその地点から荒川さんは詩作を続けているのではと推察しながら。

とまれ吉行さんについてはこれからまだまだ書くことがあると思う。
やはりぼくにとって様々な意味で親しみ、学び続けるのは吉行淳之介という作家であることは間違いない。








 < 過去  INDEX  未来 >


にしはら ただし [MAIL] [HOMEPAGE]