昨日の冷たい晴天は、今日のための「冷え」だったのだろうか。 朝から雪が止まない。 植物たちはみな退避させたけれど、地植のものはまともに雪の中である。 今日がピークらしいけれど。完全に融けるまで時間がかかりそうだ。
気になるニュースとしては「一太郎」のジャストシステムが特許権侵害で松下電器に敗訴したことがある。 「一太郎」の販売が即座に中止になるわけではないのだけれど、松下とジャストシステムの特許に対する「温度差」がはっきり見えた。 特許侵害は「ヘルプ」のアイコンをクリックしてからの一連の動作らしい。詳しくはわからないけれど、いずれにしてもソフトの本質的な部分ではない。
だけど、だからこそ松下はこだわったのではないだろうか。こんな些末なことを…、という雰囲気がジャストテシステムにはまだあるみたいだけれど、 問題は深刻だと思う。 ユーザーの間にもこんなことで何故裁判までしないといけないのかという声もある。
しかし、どんなことでも自前でつくるということに神経を研ぎ澄ましているメーカーと、似ていても解釈の問題だけ、と考えるメーカーでは 社会的な認知の優位性や投資のメリットからしても、前者の方が圧倒的に有利なのだ。
まして地裁段階で認定されてしまうという判例を作ってしまったわけで、最終的に勝ったとしてもジャストシステムに対する不安感は残るだろうし、 仮に負けたら、製造販売が中止になるわけで、 「一太郎」から他のソフトに乗り換える人が出てくるのは仕方がないと思う。
「他のソフト」というのは端的に言ってマイクロソフトの「ワード」だろうけれど、 日本語変換に関してぼくは「ワード」に不満があって「一太郎」に乗り換えた人間なので「ワード」には戻りたくない。
また「ワード」ユーザーが増え続けているらしく、そうなると完全にマイクロソフトの独占となってしまう。 それも怖い。
例えばブログのコメント欄に書き込もうにも「形式が違います」とかエラーがでて、「一太郎」で書き込めなくなる可能性だってあるんだから。そんなことはないと思うけれども。
ソフトは多様でないと、同じトラブルで全部駄目になるし、おなじソフトの枠組みでしかものを考えなくなるおそれだってあるから、 「革命的警戒心」というと大げさかもしれないけれど、 それぐらいの緊張感はもって欲しい。 「こんなこと」で足許をすくわれないで欲しいのだ。 一ユーザーとしての願いである。
もう一つはネットと国語力の問題。京大の佐伯啓思さんが書かれていた。
日本文化の現状はは無惨である、という認識が示され、その根っこには国語力の低下がある、と。 国語力の低下はテレビとネットによるのだという指摘。
ネットであまりにも簡単に「自己表現」できることが文化の程度をどんどん下げている、というのだ。 そのネットでの表現の特徴はは「直截」ということだ。深みも幅もない。 そしてネットへの対抗力が国語力なのだという。
つまり、ものを考えない人間が増えているということなのだ。 「だとしたら」と考える。 と、原稿用紙やノートに戻ればいいのだ。
ネットという枠組みではなく原稿用紙という枠組みでものを考えるのだとしたら、どちらが幅広く考えられるだろう。どちらが自由だろう。 結論は出ないし、結論はない。
所詮、道具なんだよね。
自前の言葉でものを考えよう。それが結論。
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