京都新聞の不定期連載「文人往来」。「文人」が「文人」を語るコラムです。 ぼくが読んできたものは、ほとんど小説家による小説家の追憶というかたちでした。
今回は村松友視さんが吉行淳之介さんを紹介しておられました。 「驟雨」を読んで以来、吉行さんの本はほとんど読んできたんですが、「夕暮れまで」はまだ読んでいなかったのです。それを村松さんがテキストにあげておられたんで慌てました。…読まねば。
村松さんは作家になられる前、中央公論の編集者で、文芸誌『海』の吉行さん担当でいらしたのですね。 で、「夕暮れまで」は「夕暮れ族」なる流行語ができるほどの風俗として注目されていました。(だから、あんまり読みたくなかったんですけどね) 中年男性と二十二歳の女性との関係がずっと書き継がれた作品です。
それは13年にもわたっていろんな文芸誌に少しずつ書き継がれ、終盤が『海』に掲載されたんですね。
村松さんの言葉 『修飾語も少なく、語彙も少ない。吉行さん独特の言葉遣いによるエッチングみたいな作品です』
この「言葉遣いによるエッチング」という言葉に目が引き寄せられてしまいました。題材こそ違え、そのような方法をずっと考えていたので。
すぐに読んでみます。
村松さんの言葉 『こんな文章で吉行さんがやっていたことは、対象に対する微妙な距離感を場面や文章の中で構築することだと思う』
今、読んでいるのは平野啓一郎さんの「滴り落ちる時計たちの波紋』の再読。 庄野潤三さんを何冊かです。
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