文藝春秋が発売されて芥川賞受賞作の二つがそろって掲載されました。 なんせ安いし、ほかの人のも読めるし、二人のインタヴューもあるしというので早速購入。 綿矢さんのはすでに読んで、感想文も書きました。インタヴューも「京都新聞」の方が詳しかったですね。彼女は京都弁がいやで早稲田で「音声学」の講義まで受けて、克服しようとしてます。でも、本人は「だめですねー」と。で、文春では京都弁の受け答えがそのまま活字になってます。 地元の新聞は「標準語」でした。なんだかおもしろい。 地方の言葉と標準語。そのことはまたいつか書ければ、と思います。
で、金原さん。あっという間に読みました。これぐらいの長さの作品だと、最近読むのが速いんです。綿矢さんのときのような読後感想文も書ければいいかな、と思います。 面白いのはこの作品も、書きたいという気持ちが充満しているということ。「書く以外」ないんですよ。音楽にも絵にもならない。たぶん小説にしかならない気持ちが「わかる」なんていったらおかしいけど、作者はそうなんだろうな。だから書いたんだろうな、というところまで想像できる、ということです。
ピアスだとか火傷だとかの描写は別に驚きはしなかったですね。回りにいくらでもいるんで。ピアスと刺青の世界。まあ、やりたいひとはやるよ、ぐらいの感覚。 じつは感情移入というか物語りのなかに入って行きやすかったのは、「蹴りたい背中」よりも「蛇にピアス」でしたね。 彼女が「マッド」と形容するタイプの人間は30歳になるぐらいまで、回りにたくさんいたんで、彼等の事を思い出したり、時々ゴザンスに書いている「ジル」の短い話にも登場させることができるな、とか。
作品を読んで自分にフィードするものがありました。 だから、感想文の代わりになにか創作を書いてみようとも思います。
あとは余談。 綿矢さんは「左きき」という理由から、また金原さんは当然のようにパソコンに打ち込んでいます。ただ原稿用紙を使わないというのではなくて、とにかくお金がなくても、ほかに何もすることがなくても、紙切れ一枚でいいから、とにかく書く事をやめなかった金原さんの姿勢がふたりに共通していますね。
セロニアス・モンクを聴きながら 本日の小説の前進3枚。詩さらに推敲。
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