ウェブ日記について。
「すばる」10月号の清水博子「カギ」という作品。姉と妹の二人の日記だけで構成されている。それ自体とても面白いんだけど、妹の日記はウェブ日記なのだ。
妹の日記は「ブランド日記」とでもいえるようなもの。買い物とかレストランとか、某誌に載っていた店とか…。それが毎日続く。
日記のために生活を組みたてているわけだ。生活と日常の順番が逆になっている。妹の言葉ではないけれど「日記を書いているのは誰」なんだろうと思ってしまう。 ……。
で、ここがそのウェブ日記のもうひとつの現場。「エンピツ」です。 この小説に書かれていることはよくわかるし、そういう人も実際にいるだろうと思う。 なんせウェブ空間なんだから、それが本当かどうかだって疑い出したらきりがない。 だけど、こうやってこの空間と付き合ってくると、「そんなものなんだ」という認識ができてしまっている。たぶん、多くの人もそうだと思う。 「仮想の日記」なんだ。
「公開を前提にした日記」というのはたぶん、毎日「エッセイ」を書くことだとぼくは思う。そうでなければ、もう一つは「ほんとうの日記」だ。 その日の出来事をメモるように、書きとめておくだけ。
本を読みまくる人なんかは、もうありたいていの小説はつまんないという。 筋が見えてしまうし、プロットもすぐにわかる。文章のウマイ下手にとても敏感になっている。そういうふうに装ってもすぐに見破られる。 そういう人たちが渇望しているのは「何てことない話」でもかまわないから、「ウマイ小説」「ウマイ文章」なのだ、とこないだ「そういう人」が語っていた。。
清水さんの想像力が捕らえたウェブ空間についての想像力は評価できるけれど、実際は暗黙のうちにそれはみんな「知っている」ことだと思う。 「言葉が軽い」とよくいうけれど、問題は実は読み取る側にこそかかっているのかもしれない。そういうふうにしか読まないもの。あるいは読めないのか…。
書く側はどうかというと、だからこそすべて「創作」に流しこんでいく態度でいいんじゃないのかな。何も無理に日常を強調する必要はない。 むしろ自分の考えとか創作を表現することのほうにこそ力点を置くべきだと思うんだ。 なにしろディスプレイは世界に開かれたミニシアターでもあるわけだから。 ヴァーチャルであることを了解した上で、だからこそ成立する作品世界へ。流れはそうなると思う。
いわゆる「日記」は、そして、世界のデータベースとなっていくのだろうか。 なんだかそんな気がする。
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