散歩主義

2003年09月18日(木) 仕舞うということ

今日も暑かったです。
だけど夏がいよいよ終わっていくのが実感できました。
匂いと風が変わりました。
匂いは草が枯れた匂いがしだしたこと。風は痛くなくなりました。

そろそろ彼岸花が、詩仙堂の方に行けば咲き出しているかもしれません。
詩仙堂から蔓朱院門跡のあたりの田んぼのあぜ道には毎年、彼岸花が一斉に咲くのです。ちょうど一乗寺の北の方です。もう山に少し入っていて、実は比叡山に登るルートもここにあります。川の横を歩いていけばたぶん最短に登れる道です。

学生のころ、ぼくは京都の左京区に住んでいて、つまり一乗寺から修学院離宮まで歩いていけるあたりだったんですが、夜中に酒を呑んでは「叡山に登るか」と、数人でこの道を登った事が何度もあります。

左京区の街の中から歩いていけてしまうんですよね。比叡山も。

実はこの道は全山、修行の場としている比叡山延暦寺の千日回峰行の行者さんが飛ぶようにして夜中に歩いている道なのです。見た人はあまりいないと思いますが、白装束で身を固め、真っ暗闇の中を鳥が飛んでいるかのごとくに降りてくるそうです。

白装束、つまり死装束で歩いているのです。途中で歩けなくなったらその場で自害したといいます。この厳しい修行の詳細は省きますが、常人ではできません。
多くの人が途中で挫折を余儀なくされています。

昨日、久しぶりに万行された方がでました。
白装束にわらじを履いて歩く姿が京都新聞に掲載されました。
まさに毎日が「死に仕舞い」であったでしょう。

今日は「仕舞う」ということを考えていました。
終わりを終わる終わり方、ということについて。
あるいは能の「仕舞い」のこととか。
「仕舞う」という字の美しさのこととか。


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