京都の「水」についていろいろと調べていて、5月の「葵祭り」に行き当りました。あのお祭りは「水」に対する感謝の祭りなのです。御所を出発した行列は最後に下鴨神社に到着します。ここで天皇の勅使が拝殿で都の水の安堵を神様に感謝するのです。今でも宮内庁の儀典の係りの方が烏帽子姿の正装で述べられていますが、口の動きしかわかりませんでした。声が聞こえないのは、まぁ、広いから仕方ないだろうと思っていたんですが、実はそうではないのでした。
勅使の方は「人に聞こえないように」しゃべらなければならないのです。人に聞こえず神様だけが聞こえるような「声」を出さなければいけないのです。
どんな声なんでしょうね。小さい声であることは確かです。呟きに近いのかも。 周りには聞こえないんだから、想像するしかないんですが、とてもおもしろいです。映像や実際の姿では大きく口を開いてはっきり発語している様にみえるのですが。
昨日まとめた、2002年の『私』。良く聴いた音楽家のひとりbiceさんの声。彼女の声もある意味、そういう声かもしれません。 もちろん人にも聞こえてきますけれどね。 宗教的な本の多くは「神は囁くように語りかけてくる」と書いています。たぶんそれは無音で頭に響くことに限りなく近いのだと、ひそかに思っています。
「啓き」とはたぶん、そのように訪れるはずだから。
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