斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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2005年06月02日(木) |
新たなるファッションジャンルとしてのビジネスカジュアル |
ビジネスカジュアルというのは微妙なファッションである。 ビジネス現場におけるカジュアルファッションが一般化してきたとはいえ、そこには一定の基準が存在する。
基本は「他人から見て」不快感を与えない事、である。 自分の基準ではない。 他人から見ての基準。 そこが難しい。
ビジネスカジュアルだからといって、自分の個性を出しまくってはならないのである。 スーツを着なくても良い、イコール、好きな服を着ても良い、ということにはつながらない。
ビジネスカジュアルとしての基準がいくつかある。
・デニム素材(ジーンズ)不可 ・襟付きじゃなきゃダメ ・スポーツシューズ不可 ・シャツはパンツの中に入れる事
女性の場合は、男性以上に自由度が高いので、個人で自覚してファッションを選ばなくてはならない。 僕の前職の女性陣は、「視線誘導か?」と思われるような露出度過多の方々が多く、個人的には眼福だったのだけれど、やり過ぎ感があった。
ビジネスカジュアルは、スーツを着なくても良い、程度で捉えておいたほうが無難だ。 スーツを着なくてもよくなった、ネクタイを締めなくても構わない、というだけで、完全なファッションの自由が認められたのではない。 そこに誤解が生じる。
ビジネスカジュアルはあくまでも「ビジネス」カジュアルである。 ビジネスなので、制約は大きい。 普段着で出社できる、と思ったら大間違いなのである。
「ビジネススタイル」、「ビジネスカジュアル」、「カジュアル」は明確に異なる。 自分の個性をいかんなく発揮できるのは「カジュアル」のみである。 ビジネスカジュアルでは、かなりの制約を受けることを忘れてはならない。
「ビジネスカジュアル」を初めて体験する人たちにとっては、今までの「ビジネススタイル」、「カジュアル」と異なるファッションであることの認識が薄い。 「ビジネスカジュアル」は、「ビジネススタイル」、「カジュアル」とは異なる。 スーツではないけれど、休日のカジュアルスタイルとは全く異なるのである。 それが、イマイチ認識されていない。 ネクタイをはずしただけ、上着を取っただけの「ビジネススタイル」であったり、これはくだけすぎだろう、という「カジュアル」過ぎたりすることが多い。
日本では「ビジネスカジュアル」がまだ未成熟であり、過渡期であるのでしかたがない部分はある。 例をあげれば、ライブドアの堀江氏のファッションは過剰にカジュアルであり、ビジネスカジュアルとしては認められない。
「ビジネススタイル」、「ビジネスカジュアル」、「カジュアル」は、はっきりと分かれている。 ビジネスカジュアルはアパレル業界としては、新たなビジネス領域だ。 明らかに今までと異なる領域なのだから、新規のビジネス領域のはずだ。 でも、服屋、ファッション誌を見る限りにおいて、ビジネスカジュアルは誤解を受けているように見える。 服屋はカジュアル過剰だし、ファッション誌は、スーツスタイルからネクタイをはずしただけ、シャツを少々変えただけに留まっている。 違うんだよ。 ビジネスカジュアルは。
「ビジネスの現場において他者から見て不快感を与えないファッション」、がビジネスカジュアルである。 「ラルフローレン一式」、というのが現状の無難な日本のビジネスカジュアル。 「個性を出さずに」、楽なファッション、というのが日本のビジネスカジュアル。 正しいビジネスカジュアルは、始まったばかりであるせいか、選択肢が狭い。 「ビジネス」と頭についている限り、ここ日本においては過剰な個性は出してはならない。 ビジネスの現場において、ファッションで個性を出す事はご法度だ。 おしゃれすぎても、ダサ過ぎてもいけない。 微妙なバランス感こそが、日本のサラリーマンのあるべき姿。 外見的には「没個性」。 個性を主張するのは、ファッション以外のところでやれ、というのが日本のビジネスの掟。 「イタリアンクラシコ」とか「フレンチカジュアル」とか毛唐に惑わされるんじゃないっ。 おしゃれ過ぎると、オフィスで浮くだけ。 「ラルフローレン一式」で無難にごまかしておけ。 それが一番目立たない。
ビジネスカジュアルが導入されると、おっさん連中はゴルフファッション、若造は貧乏学生と変わらない格好で出社してくる。 違う。 違うんだよ。 どちらも違う。 ビジネスカジュアルは新たなファッションジャンルなのだ。
と、いいつつ貧乏学生ファッションで会社に通う僕なのであった。
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