斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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JR福知山線の脱線事故から10日が経過したにもかかわらず、トップニュースは連日、JR西日本関連である。 僕は今、関西の実家にいるので、ローカルニュースでもJR西日本糾弾が続く。 JR西日本糾弾ネタだけで、テレビの前で一日を過ごせる。
驚愕の事実発覚!!!
「JR西日本の社員は、ボーリングの後、二次会で寿司を食べただけではなく、三次会で焼肉を食べていたことが発覚しました!」 「JR西日本の隠蔽体質はどうしようもないですね」 「どうして隠すんでしょうか?」 「鉄道マンとしての誇りはどこへ行ってしまったのでしょうか?」
焼肉を食ったことまで記者会見で報告しないと、隠蔽工作なのだそうだ。
「あんたら、もうエエわ。社長呼んで!」
敬語なしの記者に呼ばれて、JR西日本の社長、深夜の会見。 ボーリングと寿司と焼肉の謝罪会見。
「『どの面下げて』行ったのか、遺族の家に」
「どの面下げて」だって。 ジャーナリストは、特権を持っているらしい。 報道無罪。
JR西日本が引き起こした事故は、重大だ。 事故を引き起こしたJR西日本の体制や体質に問題があることも事実だろう。 事故後、二転三転するJR西日本の発表に信頼が置けなくなっていた事もあるのだろう。
でも、マスコミはちょっと調子コキ過ぎ。 記者会見は、糾弾の場ではない。 マスメディアはいつから裁く権限を得たのだ?
テレビは、おどろおどろしいBGMで事故を伝える。 マイナーコードの悲しみたっぷりのBGMで、被害者の声を伝える。 JR西日本幹部のコメントのBGMは悪役用。
今回の一連の報道を見ていると、主観的要素があまりにもハナにつく。 これは、ジャーナリズムではない。 ただのエンターテインメントだ。
報道は「客観」であるべきか、「主観」であるべきか。 それは二元論では語れない。 事実は客観として伝えられるべきだし、それに対するコメントに主観が入ることは当然のことだ。 報道には編集作業が伴うので、完全なる客観報道はあり得ない。 カメラのフレームや言語のような制約条件がある限り、完全な客観報道を行うことは不可能だ。 だが、ジャーナリストには制約条件があるからこそ、客観報道に努める使命がある。 「事実ではなく真実を伝える」というのはジャーナリストの奢りだ。 ジャーナリストは裁く事ではなく、伝えることが仕事だ。 報道に主観を混じえることは、ジャーナリストにとっての罠だ。 主観報道は、客観報道よりも容易だし、メッセージも伝わりやすい。 ジャーナリストは客観報道を常に意識し続けなくては、主観報道に傾く。 主観報道を否定はしないが、安易に主観報道に陥ることは危険だ。 意識しなければ主観報道になってしまうのだから、ジャーナリストは客観性を常に意識しなくてはならない。
どこの放送局にチャンネルを切り替えても、報道の論調は同じだ。 主観報道であるはずなのに。 報道の自由が認められている国なのに、論調は同じ。 限られたチャンネルを切り替えようと、異なる意見を聞くことはできない。 これは、マスメディアによる暴力だ。 メディアレイプだ、と僕は思う。
JR西日本の犯した罪は大きい。 でも、裁くのはマスメディアじゃない。 コメンテイターがキャスターが記者が、感情を剥き出しにし、怒り狂いながら、ヒステリックに報道する。 これはジャーナリズムではない、と僕は思う。
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