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斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」

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2005年04月03日(日) 紅茶、コーヒー、ウーロン茶、グリーンティー

僕の僕が日本人としてのアイデンティティーがない、という文章に対して、外部、外国人からは、日本人として見られるのではないか、という意見があった。

僕の場合、日本人という国籍よりも、僕個人としてとして見られている、という場合が多いように思う。
理由のひとつとして、僕が今までいわゆるグローバル企業にしか勤務したことがない、ということがあげられる。

僕が現在勤務している会社は、法制度上は、グローバル企業の日本法人、という形式を取っている。
登記上の本社所在地は、オフショアの島である。
機能としての本社は、どこにも存在しない。
経営陣は世界のあちこちにバラバラに居住しており、経営会議等は、その時々に応じて世界中のあちこちで行なわれている。

僕は、東京オフィス所属、ということになっている。
なぜ東京オフィス所属なのか、というと、僕が日本在住で、自宅から東京オフィスが一番近いからである。
東京オフィスがたまたま自宅から近いので、東京オフィスで仕事をしているに過ぎない。
コンサルタントという仕事の性格上、どこで仕事をしても構わない。
東京オフィスに所属してはいるものの、実際の仕事場所は、世界中のどこのオフィスでも構わない。
僕が所属する会社では、固定席という概念がない。
自分の仕事をする座席はホテリングシステムと呼ばれ、予約制である。
座席予約は世界中どこのオフィスでも同じシステムで予約できる。
僕が海外のオフィスで仕事をしたほうが便利だ、と感じたならば海外のオフィスに自分の席を予約すればよいだけのこと。
ちなみに、僕は来週の座席の予約を失敗したので、来週は別のフロアで仕事をしなくてはならない・・・orz。

プロジェクトを遂行する場合も、プロジェクトメンバーは、東京オフィスに所属する日本人で構成しなくてはならないわけではない。
必要に応じて各国からメンバーを掻き集める。
僕が外国人のメンバーを東京に呼び寄せる場合もあるし、僕が海外のチームから呼ばれて海外オフィスで仕事をする場合もある。
東京で日本人中心のメンバーでプロジェクトを遂行する事が多いのは、飛行機代やホテル代といったコストをケチっているからである。
世界中から集まった外国人との混成チームでプロジェクトを遂行することは珍しくない。

その世界中から集められた国籍がバラバラなメンバーで構成されたプロジェクトチームで仕事をする際、仕事においては、メンバーの国籍を意識することはほとんどない。
食事の際の話題として、「あんたの国、最近どうよ」的な世間話で上るだけである。
僕が外国人のなかにいる際、日本人である事を意識することは、ほとんどない。
ただ、宗教上の戒律は存在するので、インド人とは牛丼を食べに行かない。
豚丼は問題ないけど。
それは、国籍に起因する問題ではなく、宗教に起因する問題だ。
ニューヨークのオフィスで僕が日本食を食べたい、と頼んでカツ丼をデリバリーしてもらったら、生姜味でクソまずかった事はある。

外国人メンバーも僕を日本人としてよりも、僕個人として意識しているように思う。
文化的な面においても、世界中の人々は、同じアーティストの音楽を聴き、同じ映画を見て、同じ小説を読み、同じゲーム、アニメを見て育っている。
外国人とカラオケに行っても、選曲する歌は、お互いに知っている。
僕は邦楽は全くと言っていいほど聴かないので、日本人とのカラオケのほうが知らない曲が多い。
国籍による違いよりも、趣味的な部分での個人としての違いのほうが大きい。
異なる趣味を持つ日本人よりも、同じ趣味を持つ外国人とのほうが、僕は話が合う。
そこで話題になるのは、日本で先行リリースされたコンテンツや、DVDのリージョンプロテクトにより、日本国内発売のハードウエアでしか再生不可能な映像についてくらいのものだ。
僕がゴースト・イン・ザ・シェルというアニメーションの存在を教えられたのは、外国人からである。
僕が接する外国人は日本の伝統文化には興味を示さない。
日本の電気製品やクルマ、アニメに対して興味を示す。
でも、僕がAudiやDucatiに乗っていて、毎週、The Simpsonsを観ている、というと驚く。
僕の小学生の従兄弟は、親の転勤に伴い、米国に引っ越した。
英語が話せないので、引越し前は心配していたのだけれど、いざ米国の小学校に入学すると、ポケモンについて異常に詳しい、という事で一躍、米国の小学校の人気者になってしまった。

僕は、外国人と接していても自分が日本人である事を強く意識させられたことがない。
逆に、僕が日本人であることよりも、僕が僕自身という個人であることを意識させられる。
仕事においてはスキルをベースに評価されるし、趣味に対しても好みが近いかどうか、のほうが重要だった。

世界中の経済、文化等々の並列化が進行した結果、日本人、日本国籍であることは、僕にとってはあまり意味がない。
関西出身の僕にとっては、「関西人は阪神ファン」、「関西人はお笑い」、「関西人はたこ焼き」というレッテルのほうが強いくらいだ。
僕は関西出身ではあるものの、もう十数年を首都圏で過ごしているので、関西に戻った際の違和感のほうが強い。
スティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」的に言えば、「カンサイジン・イン・トーキョー」。

ニューヨークのオフィスで仕事をしていた頃、サンフランシスコ出身の女の子がいた。
その子は、同僚からいつもサンフランシスコ訛りをネタにされ、その女の子はサンフランシスコ訛りを誇りに思う、と言い返していた。
関西弁みたいなものか。
もちろん僕にはニューヨークとサンフランシスコの発音の違いはわからない。
僕の昔の上司は、日本人、中国人、インド人、イタリア人、フランス人、ドイツ人、イギリス人が英語で議論しているモノマネを持ちネタとして持っており、アメリカ人には大ウケしていた。
発音の違いと、文化の違いによる意見の食い違いをネタにしていた。
アメリカ人には大ウケだったが、日本人にはイマイチ理解されていなかった。

今や僕にとって、国民性は微妙なギャクのネタのレベルになるほど、差異がない。
スティングだって、英国と米国の違いについて、紅茶とコーヒーの違いだと歌っている。
紅茶か、コーヒーか、ウーロン茶か、グリーンティーか?
僕は全部飲む。

■ENGLISHMAN IN NEW YORK LYRICS(イングリッシュマン・イン・ニューヨークの歌詞)
http://www.lyricsfreak.com/s/sting/132036.html
■Lyricsfreak(洋楽の歌詞満載の歌詞サイト)
http://www.lyricsfreak.com/




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