斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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2005年03月04日(金) |
これからの10年、その次の10年 |
「これからの10年、その次の10年」について書いてみたい。
これからの10年に起きること。
・バーチャルとリアルの融合 ・ネットワーク、コンピューティング構造の変化 ・ヒトのコミュニケーションありかたの進化
その次の10年に起きること。
・ヒトとモノ、バーチャル世界の融合
これからの10年。
・バーチャルとリアルの融合
これまでの10年間に僕らに起こった事は、バーチャル世界の拡張である。 ネットの普及、ブロードバンド化、ワイヤレス化により、僕らは現実世界と同様、バーチャル世界で生きることができるようになった。 バーチャル世界の拡張はまだまだ始まったばかりであり、これからも加速しながら進化を続ける。 そして、これからの10年に起きようとしていることは、バーチャル世界とリアル世界の融合である。 これまで、バーチャル世界は、情報だけで構成された「ビット」の世界だった。 そこへ「アトム」が連携する。 バーチャルとリアルが融合する。 RFID、センサー、ロボット、アクチュエイター等々。 これらのテクノロジーがバーチャル世界とリアル世界を媒介し、融合する。 RFIDのEPC、IPv6はバーチャル世界がリアル世界を認識するための識別子である。
・ネットワーク、コンピューティング構造の変化
ネットワーク、コンピューティング環境を大きく変貌させるテクノロジーは、「グリッド・コンピューティング」、「メッシュ・ネットワーク」、「オートノミック・コンピューティング」である。 n対nのコンピューティングノードがメッシュを構成し、自律する。 自律メッシュネットワークは、グリッドとなり、コンピュータは箱ではなく、環境となる。 コンピュータ産業は、電力、ガス、水道といったリソース産業と同様になる。 コンピューティングリソースだけではなく、アプリケーションもネットワークで提供される環境が整備される。
・ヒトのコミュニケーションありかたの進化
P対Pのコミュニケーションの先にn対nのコミュニケーションが存在する。 統合体としてのヒトの意識は、複合要素からなる部分集合だ。 その部分がモザイクとして、n対nのネットワークで対話を始め部分集合を形成する。 それらの部分集合は部分集合でありつつ、部分集合と部分集合は重なり合い、全体としての要素を持ち始める。
その次の10年。
・ヒトとモノ、バーチャル世界の融合
「次の10年」で形成された、「バーチャルとリアルの融合」、「ネットワーク、コンピューティング構造の変化」、「ヒトのコミュニケーションありかたの進化」が融合を開始する。 ヒト、モノ、バーチャル世界が融合することにより、ヒトとコンピューティング環境との境界線は限りなく小さくなっていく。 ヒトの身体は、免疫で物理的に保護された独立体としての形状を保ちつつも、他者や環境との境界線が曖昧になっていく。 センサーネットワーク、ロボットテクノロジーとヒトが連携することにより、ヒトの身体、脳は拡張され、環境と融合していく。 ヒトは、環境の一部であり、全体でもある。 ヒトは、統合体としての個別の独立体としての自分自身と、環境の一部であり全体でもある、という意識の乖離に対する葛藤にさらされることになる。 そして、ヒトは新たなる境地に達するのかもしれない。
僕たち人間は、生物としては一万年くらい何らの進化をしていない。 だけど、僕たち人間の持つ意味合いは、これからのほんの何年かの間に大きく変わる。 テクノロジーは絶えず進化を続け、加速度を増し続けている。 僕たちは生物としてはなんらの進化もないまま、テクノロジーによって進化を続け、環境に適応してきた。 これからも僕たちヒトは、生物としては何ら変わらないまま、外部環境であるテクノロジーの進化に、ヒト科の種として、適応し、実質的な進化を遂げていくだろう。 「変異」、「遺伝(伝達)」、「選択(淘汰)」の複合的なプロセスを高速に展開し、進化のプロセスは幾何級数的に加速度を増していく。
これらは、「これからの10年、その次の10年」ではなく、「これからの15年、その次の15年」に起きることなのかもしれない。 だけど、僕ら人類が、世界が、全ての定義が大きく変わろうとしている端境期にあることは間違いない。
僕らは今、「幼年期の終わり」にいる。 ヒトの定義が変わろうとしているのかもしれない。 僕は、どこにでもいるし、どこにもいない。 世界はどこにでもあるし、どこにもない。 中心はない、周縁もない。 僕と他人を分かつ境界線もない。 僕らの向かう先にあるものは、ある種の「彼岸」なのかも知れない。
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