斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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2003年04月21日(月) |
六本木はいかがわしさを失なった街に成り下がるのか? |
僕は休日出勤の場合は電車ではなく、クルマを使う。 いつものコースは五反田から桜田通りを進み、麻布十番で左折し、メイ牛山のハリウッド化粧品トンネル(数年前までトンネル入り口に大きくハリウッド化粧品の広告が描かれていた。また、青山墓地の霊がトンネルを抜けて東京タワーから天に昇るのだ、という都市伝説もあった)を抜けて青山墓地を横目にオフィスのある青山一丁目に向かう。 ここ何週間かは休日出勤が続いていたので、毎週通っていたのだけれど、目に見えて渋滞が激しくなっている。 六本木ヒルズのせいだ。
僕にとって六本木は特別な街だ。 10年と少し前、大学を卒業した僕は関西から就職に伴って上京した。 当時はコテコテの関西人だった僕は「東京がなんぼのもんじゃい」的な典型的な「東京の関西人」だった。 勤務希望地には1.神戸、2.京都、3.大阪と第三希望までの全てを関西にしたはずなのに、僕の最初の勤務地は六本木にある本社の宣伝部だった。
それからの数年間を僕は六本木で過ごした。 当時の僕は六本木以外の東京の街をほとんど知らなかった。 未だに数年間を過ごした六本木は比較的わかるけれど、他の街はほとんど知らない。 銀座なんて未だに道に迷う。 六本木は僕にとって東京の最初の街であり、20代のクソ生意気な時代を過ごした大切な街だ。 20代の多くの時間を六本木で過ごした。 六本木は遊びに行く場所ではなく、生活圏だった。
僕にとっての六本木はWAVEであり、青山ブックセンターだった。 WAVEはなくなってしまったけれど。 ついでに言えば大八も東京飯店もSTEPもなくなった。 吉野家は3軒に増殖し、天下一品、一蘭、一風堂のようなチェーンのラーメン屋が増えた。 六本木は腐ったどうしようもない街だけれど、サブカルチャーの一部が残っていた街だった。 西麻布や表参道のようにスカした気取りのない、堂々としたバカな街だ。
当時は大江戸線も南北線もまだ開通してなかったので、日比谷線と都バスの1番を使っていた。 日比谷線はクリーム色の車両で、冷房が効いていなくて、夏は最悪だった。 六本木3丁目の墓場の端にある照明が真っ暗でソウルが大音量でかかるバーが僕のお気に入りの居場所だった。 当時の六本木は交通の便が悪く、夜の12時を過ぎると日本人より外国人のほうが多かった。
いつの間にやら六本木は交通の便も良くなり、夜も明るくなった。 六本木のいかがわしさは消え、近代的で清潔な街へと変貌しつつある。 日本中のどこにである、ファストフードとラーメン屋とカラオケ屋と風俗の街になった。
六本木ヒルズ、そして防衛庁跡地の再開発によって六本木は近代的で清潔な街に生まれ変わるのだろう。 でも、僕はあの汚くていかがわくて猥雑で、でもほんの少しだけサブカルチャーの残滓が残っていた六本木のほうが好きだな。 六本木にはいかがわしさを失って欲しくないな。 六本木は銀座でも丸の内でもないのだから。
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