2004年11月16日(火) |
理想と現実の間で・・・あるべき姿の難しさ |
皆さんは選挙のときに、投票される候補者や政党をどのような判断基準で選ばれて権利を行使されますでしょうか・・・
いろいろな基準があると思います。 「政策や考えが同じだから」「知っているから」「人に頼まれたから」「過去の功績・実績から」「経験豊富だから」「若いから」「期待できそうだから」「顔が良いから」「他に適当な人がいないから」「人柄が良いから」「演説で心動かされたから」「好きだから」・・・たぶん十人十色なのでしょう。
では、政党はどのような基準で候補者を選んだり、立候補させたりするのでしょう(したのでしょう)・・・
「党の政策を遂行するから」「知名度があるから」「支持者や支援組織があるから」「現職だから」「実績や経験豊富だから」「若いから」「期待されているから」「顔が良いから」「他に適当な人がいないから」・・・是非は別にして、どれも過去にあった基準だろうと思われます。
書いてみて改めて思うのですが、挙げた項目はどちらも共通します。当たり前のことです。選挙で選ぶ側と選ばれる側ですから、表裏一体なのです。
では、政党は何が大切なのでしょう。それは、理念と政策です。そして、これを基にどう具体に実現するかの結果です。つまり、考え方や具体像があり、手段と結果により具現化することです。前者も後者もなければならないのです。前者だけでも、後者だけでもダメなのです。 しかしながら、現実はなかなか難しい。それは、歴史が物語っています。日々の生活と同じナノではと思います。
それでも、敢えて言いきります。理念と政策がなければダメです。まずそこからです。そして、それらは過去の行動や取り組みからも判断されことです。
理想だけでなく現実のなかで対応する・理想を持ちつつ現実の対応をする・理想に近づくために現実の対応をする・・・のが世の常であり、政治の今の姿でもあります。そして、選挙もです。理想を求めながら、どこかで現実的な対応が必要となります。但し、その境界は人それぞれです。肯定も否定もできません。 大切なのは信じる道と、有権者との信義です。政党や政治家がそれを判断する時は、大義が不可欠です。なし崩しはあってはならないことです。
私は、私自身は勿論、政治が、所属する民主党が、支部が、あるべき姿を求め続け取り組んでいます。今後も取り組むつもりです。誰に非難されようとも。青臭いと言われようとも。
|