生きる。を消費する
2002年10月25日(金) |
介護について考えた。 |
最近私の周りで介護の仕事についてる人が多いことに気が付いた。で、何か色々あってややこしいので、toto職人さんのところに行ってみた。
う〜ん、難しいですね。 私にとって介護とは自分の身内だから出来ることで、知らないおじいちゃんの怒鳴り声は聞きたくないし、知らないおばあちゃんのうんちの世話もしたくない。逆に言えば、自分のうんちの世話をしてくれたから出来たのかもしれない。実際祖父母を看取ってみて初めて気付いたことなのだが、本当に介護するのは人間の醜いところ(排泄なんかどうって事ない)を目の当たりにするので精神的に辛い。だからお金を払っても他人に任せたくなるのはスゴく解る。血が繋がってないからこそ優しく出来るってこともあるし。
で、ウチの家も例に漏れず「完全介護にしてもらうか」どうかで悩んだわけです。 当時の祖父は「寝返りを打ったら布団がずれた」という理由で1晩に10回も呼ぶ(それも棒でテーブルを叩く)ので家族全員眠れない毎日を過ごさなくてはいけなかった。そんなことでイチイチ呼ぶなよな〜とか怒りながら、接する日々が続いた。 でもよく考えるとたぶん「死ぬのが怖かった」んだろうと気がついた。だから一生懸命家族を呼ぶことで「生きている」事を実感しなくては不安でしょうがなかったんだと思う。そう思ったら私は絶対に死ぬ直前まで自分たちで世話をしようと決め、家族に話しました。で、死ぬ直前まで世話をしたのです。
私の幼少時は殆ど祖父母に育てられたから、恩返しをする必要がある。 寝たきりにならないで、呆けてしまっていないのだから、出来る限り介護するのが私の仕事だと思ったから。
で、こういう経験があるからこそ介護を仕事にする人は無条件に尊敬してしまうのです。お年寄りの独特な癖とか感性とかって実際接してみないと解らないし、スグ怒るから(人によるけど)、言ってることが理解出来て「この人はこう言ってるけど本当はこうなんだ」とか思えるようになるまでが大変だよな〜。
で、色々見たんだけど結局何がどの仕事なのか解らず終わってしまった。 まぁ、いっか。
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