私の妹が来月にイタリアに行くという。ということで新婚旅行にイタリアに行ってきた我が家、さっそくあちこちひっくり返してガイドブックを掘り出した。といってももうかれこれ5年以上はたっている情報、果たして役に立つのかとも思うけど(名所旧跡は別として)・・・まあ、いいだろう。それと一緒に私が雑誌からスクラップしていたものもごっそり出てきたので一緒に送る。これはガイドブックよりもその時旬だった情報だからかなり変わっているだろうけど、もう、今私が見るだけでも楽しい。隠れ家ホテルとか、小さな店とか・・・。私にとって旅行の楽しさの中には情報を仕入れて自分なりの空間的、時間的な地図を作り上げることがあるんだと思う。思い返せば仕事に追われていた昔の独身時代、前日夜12時ぐらいまで働いて次の日朝9時のフライトで行った旅行があったのだけど、行った先ではもちろん楽しかった、がなんとなく総量としての楽しさが少なかったような気がした。自分のなかでの期待をゆっくり熟成する時間とかその他もろもろの下準備ができてなかったからだろう。きっとね。
で、妹に教えてといわれているイタリア旅行の思い出、何があるという話をダンナとしていた時にちょっと笑えることがあった。スイスからイタリアへ電車で移動した時、その電車にはコンパートメントが付いていてそこに入った私たち、私は流れる車窓のいかにもイタリア的な風景や、前に座っているイタリア人の伊達男のおしゃれさに感心してそれをよく覚えていた。そうダンナに言ったら、ダンナ曰く「俺はその間じゅうずっと切符の交渉をしていたからそんな思い出はないぞ!」私のミスでスタンプを押していない切符を通そうとかなり四苦八苦していたらしい。私はこのことはさっぱり覚えていなかった。いかにも私たち夫婦の性格の違いが分かる思い出のエピソードだよ。これって。
ぐらが私がガイドブックを探している横できゃっきゃっ言いながら遊んでいて、ぐりはその横に転がされて手足をジタバタしている。その風景を見ながら、あの旅行に出発するときのなんともいえない気持の動きを思い出していた。それは今家族4人で海外へ行くとしても多分味わえない感覚だと思う。こう、ひとりで凛と気持を引き締めて見慣れた日常から脱出するという感覚。
ここではない、何処かへ・・・・いつかきっとまたその感覚を取り戻せる日もくるのだろう。
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