■ 腰痛日記 ■
ケイの10年にわたる痛みの治療体験を少しずつ書いていきます

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2004年04月07日(水) 父の最期

辛いけど・・・
父の最後を忘れないように書き残します


4月3日朝 娘と面会

静かに眠っていた
人工呼吸器は付けていたが
麻酔を入れる機械?は外されていた

看護師に聞くと血圧が下がりすぎたので
麻酔は注入は中止したとのこと

ケイしゃん
「麻酔を外したのに意識がないということですか?」

看護師
「そうですね、まだ麻酔が効いているのかもしれませんね」

(もう意識は戻らないのでは?)

不安な気持ちを抑えて帰宅


― 午前11時ごろ、京都にいる長男が帰宅 ―


4月3日昼 長男、次男、ダーリン、母と面会

赤い顔をして息も荒い
血圧も高く、上と下の差がない
脈もとても速い

朝に比べて危険な状態になっているのが
素人目にもわかった

みんなは部屋を出たが
私はなかなかその場を離れられなかった

主治医が来たのでおそるおそる聞いてみた

「状態がよくないみたいですが・・・
あとどれくらい持ちますか?」


主治医
「脳の腫れがなかなか引かないのです。
そうですね、心臓があとどれくらい持つか・・・」


(やっぱり時間の問題なのかなぁ(;-;)

なにか変化があったらすぐに連絡を、とお願いする

ダーリンが妹に知らせたほうがよいというので
すぐに電話して夕方の面会にくるように伝える

最近まともな食事をしていない
病院の前の「中華のチュー」で昼食




彼は心配事があると↑(投票ボタン)
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心配だが病院には居る場所がないので家に帰る


4時ころに病院から電話が・・・

「様子が変わったのですぐにくるように」

部屋で寝ている母を長男に頼んで
とりあえずダーリンと二人で病院へ
5分で到着

部屋へ急いだが前で30分以上待たされる
(遅かったのか?)

金沢で仕事だった妹の旦那が来る
また20分ほど待たされる

旦那2人がトイレに行き
私が一人の時に呼ばれる
怖くて

「主人が来てから入ります」 と伝えたが

「先にお入り下さい」 と言われ入ると・・・

ヒドイ状態の父がいた

先生の話では一度心臓が停止した(電話の直後)が
心臓マッサージと強い強心剤で蘇生したとのこと

とても苦しそうな顔をしていた
見ているのが辛く体中をさすって呼びかけたが
なにも答えてくれなかった

妹と妹の子供二人も到着

ダーリンが
バイト先の娘
家にいた母、長男、次男
近くに住む叔母(父の妹)
も連れてきてくれた

みんなで手足をさすってやり
孫達は顔を撫でて
耳元で今まで可愛がってくれたお礼を言った

血圧はもう取れなくなっていた
主治医が人口呼吸器を外して
頭を下げた

4月3日(土)午後5時20分でした

(主治医はみんなのお別れを待っていてくれたようだ)


3月30日(火)午後3時30分頃に突然倒れた父だが

その時

ダーリンは広島に
妹の旦那は九州に
長男は京都に

その2日まえには
母は珠洲へ
叔母は岡山にいたのです

みんなが揃うのを待つようにして・・・

そして

心配や迷惑を長く掛けないようにと
さっさと行ってしまった父でした

「わしはお前らに苦労をさせとうないし
自分も不自由な生活は耐えられんと思うし
もう行くは。。さいなら〜(^o^)/」


目の前で肉親の死に立ち会った子供達にも
何かを教えてくれた父でした

(もちろん私達大人にも・・・)

逝った後はとっても安らかな寝顔でした


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