横浜の大倉記念博物館というところに行った。
かなりの山奥、車じゃないときついと思われる。ちょっとした神殿のような古い建物。正直外観は補修が進んでいてあまり古さを感じることができなかったが、中に入ってテンション倍増だった。 建てられた70年前そのままの白壁。階段。木の扉や椅子たち。小さなコンサートに使われるというホールは木を組み合わせた細工の天井。エントランスの上の吹き抜けにはぐるりと鷲とライオンの彫刻が交互に8体ずつ並べられていて、どこから見上げてもどれかと目が合うという。その上には16の窓があり、自然の照明が降り注ぐ。 これが個人の建てたものだというのだから恐れ入る。昔の建物は建て方が贅沢だ。豪華とかいう意味ではなく、生活するのに必要ではないものをしっかりした素材と技術で作る贅沢さ。だって70年経った現在、あんなに美しいのだもの。 見ているうちに、大阪の中ノ島図書館を思い出した。今は博物館か何かになってるそこは、ぎりぎりまで通った大好きな建物だった。蔵書が格別多いわけではなかったけれど、建物の雰囲気だけのために大阪まで行った。階段に座ってぼんやりしてるだけで(そうそうできなかったが)良かった。
そして事務室や会議室からは、小学校の校長室を思い出す。田舎の古い古い建物だった母校はドアや窓枠や床が木製だった。中学校も高校も古かった。 今目にする学校はどれも新しく綺麗で、私の知ってる「学校」とは違う。どっちがいいとは思わないけれど、今日行った建物に郷愁に似た思いを感じたのは事実だ。
お金さえ払えば貸し出してくれる建物だけど、市民に密着した使われ方をしているように感じた。公民館を借りてやってた発表会とかが、あんな素敵な建物でできるのだ。いいなあ。 …小学生には解らないかもしれないけど。それもちょっと残念。
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