2005年08月07日(日)
アメリカは、1945年8月6日 広島、8月9日 長崎に原爆を投下した。
「原爆投下は、戦争を終結に導いたことで、もしそれが続いていれば失われていた多数のアメリカ人と日本人の命を救った」
これが、多くのアメリカ国民の考え方であり、原爆投下に対するアメリカ政府の公式の見解である。
しかし、既にアメリカの歴史学者でさえ、違う見解を発表している。 ①米軍の犠牲を少なくしたかった。 ②アメリカは、戦後ソ連より優位に立ちたいと思っていた。 ③20億ドルもの資金を導入した原爆開発を国内向けに正当化したかった。 ④第二次世界大戦の熾烈な戦闘を通じて、市民を戦闘行為に巻き込まないという旧来の道徳観が崩れてしまった。
アメリカはルーズベルト大統領の時代1942年、原子爆弾製造に着手するため、所謂「マンハッタン計画」を発足させ、1944年には、既に、原爆を日本に対して使用する事を決めていたのであり、1945年4月ルーズベルトが急逝したあと就任したトルーマン大統領がその遺志を引き継いだ。
トルーマンは、日本が既に、壊滅的な状態で、ソ連を通して和平工作していた事、原爆を投下しなくても11月に予定していた日本本土決戦前より、ソ連が参戦すれば日本が終戦を迎えざるを得ない事を知っていたはずなのである。 1945年2月、米、英、ソ連の首脳によるヤルタ会談で、ソ連はドイツの降伏から3カ月以内に日本に参戦することを極秘に決定し、5月にはドイツは降伏していた。 アメリカは、ソ連の対日参戦より前に原爆を日本に投下し、大戦後世界でソ連より優位に立ちたいと考えていたため、7月に実験に成功していた原爆を使う前に日本に「ポツダム宣言」を受諾されては、トルーマンにとって好ましからざるものであったであろう。 そのため、「ポツダム宣言」の草案にあった「戦後の日本の天皇制の維持」という条項を削除したと言われている。 日本が受諾しないであろうことをわかった上での「ポツダム宣言」だったのだ。
アメリカ軍部内にあっても、もはや日本は壊滅寸前であり、降伏することは時間の問題なのであるから、原子爆弾を投下することは全く必要のないことである、何らかの予告無しに原子爆弾を投下することは、人道に悖る行為であるから、事前に警告を発してから投下すべきである、日本を降伏させるために、脅しの意味だけならば、無人島か砂漠で日本に対しデモンストレーションすればいいという進言も複数行われていた。 しかし、トルーマン大統領はこれらの意見に耳を貸すことなく、原子爆弾投下に踏み切ったのである。
そして、広島・長崎への原爆投下で、日本は、いかなる戦争も悲惨であるという事を、身ももって実感した筈なのである。 それなのに、戦後60年経って、未だに無意味で悲惨な戦争を繰り返しているアメリカに日本の総理大臣は肩入れして自衛隊をイラクに派遣した。 昨日の広島で行われた原爆死没者慰霊式・平和祈念式において、「人類史上唯一の被爆国である我が国は、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないとの堅い決意の下~(略)」と演説するならば、日本は、アメリカのイラク戦争を一番最初に止めなくてはならなかった国だと、私は思う。
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