kaorinのしょーじき日記
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指の腫れが引いてきています。夜な夜な膿をしぼって3週間。やはり医者へ早く行くべきという主人のアドバイスを聞けばよかったです。
あかちゃんのうんち、おしっこ、家事の間のつちいじり。家事にも危険がいっぱいです。
できる限りのことをしても裏目裏目にでていた数週間でした。気持ちもとても苦しかったし、体は微熱でくらくらしていました。でも母親としては横になっていられません。
昨日今日でいろんな問題が片付いてようやく少し元気になってきました。
入院の準備もほぼできました。
あとは両親のお布団を干したり簡単な作業でできる範囲のことをして入院と手術を待っています。
待つというので思い出すのが大学生だった1986年から1989年にかけて東京でみた第三舞台です。
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http://www.thirdstage.com/dsbt/step3.html より下記引用。
1986年2月8日から「デジャ・ヴュ'86」を紀伊國屋ホール/近鉄小劇場で上演。初めて関西の劇場で公演。観客数が1万人を越える。 1986年6月5日から「スワンソングが聴こえる場所」を下北沢・本多劇場で上演。公演ポスターに「第三舞台結成5周年と1か月記念公演」とクレジットする。(同時期に劇団夢の遊眠社が「結成10周年記念公演」を上演中) 1986年12月4日から「ハッシャ・バイ」を池袋・サンシャイン劇場で上演。公演後、教師になった名越寿昭が劇団を離れる。入れ替わりに勝村政信が参加する。 1987年7月22日から「朝日のような夕日をつれて'87」を東京・名古屋・大阪・札幌で上演。
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第三舞台と野田秀樹の夢の遊民社と落語と本を読むことが私の東京での4年間の学生生活でした。ちょうど同級生で第三舞台のおっかけをしているのがいたので彼女にいろんなことを教えてもらいました。
写真の取り方も彼女がおしえてくれたなあ。
あといろいろな場所へ行くこと。
欲しいものは自分の目で確認してきちんと代価を支払いことも。
整理整頓してものをかたづけることなんか・・全然できない私でした。いやはや世の中不思議です。今は二人の息子の母です。。
今はパソコン通信を経てインターネット世界となり海外で暮らす妹がいます。 不思議ですが
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