みかんの日記
みかん



 戦 争

朝9時半にホテルをチェックアウト。

タクシーの運転手さんに観光をお願いする。
最初に首里城。
日本とは思えない異国情緒溢れる建物だ。
琉球王朝ののどかで華やかな様子が伺えた。
建物の入り口で靴を入れるビニール袋をおば様達が手渡してくれて、
団扇が箱に入っていて使えるのがうれしい。
所々で当時の衣装を身にまとった男性が立っているのがおもしろい。
とにかく陽射しが強く、頭がぼうっとしてしまうほどだった。
高台にあるというのに首里城は涌き水がでていて
下界と遮断されても生活ができるし、
風通しがいいので暑さをしのぐには適している。
地下には沖縄戦当時の作戦司令室があったそうで、
今はすっかり壊されてしまっていて見ることができないと
運転手さんより説明を受ける。

その後糸満市の平和祈念資料館に。
スペイン風の赤レンガの瓦の白いおしゃれな建物で、
最初はホテルかと思ってしまった。
そこを越えると海を臨む傾斜地に
沢山の戦没者の名前が刻まれたいわゆる「平和の礎(いしじ)」が
さざなみのように並んでいた。
その向こうの海は真っ青。
まったくの異空間だった。
この世にいるという実感がない。
いまだに自殺者が絶えないという。

刻まれた礎を見て回る。
沖縄らしい苗字の人が多い。
昔の人の名前なのでカタカナのものも。
子供達がカマドだって、クマだって、と
面白いものを見つけてはくすくす笑う。
村別に分けて書かれてあるが、
勿論アメリカ人のも、イギリス人のも韓国人のもあった。
出身地が沖縄だけではなく、北海道から東京と全国に及んでいた。
何枚かスナップを撮るが
物悲しい場所で笑顔を作るのは辛かった。

記念館の中を見る。
1階は世界中の子供をテーマにした展示。
戦争の暗い影は微塵も感じさせない。
ふと、ぬいぐるみが置いてあった。
サラエボでぬいぐるみに地雷をしかけてあったのを知らず、
それを自宅に帰って抱きしめて死んでしまう子供が多かったとあった。
何の罪もない子供を死に追いやるなんて痛ましい。

2階に行くと、沖縄戦争当時の展示があった。
かなりのショッキングなものだった。
戦争に至るまでの展示なども多かったが
一番目を引いたのは当時の人々の証言がファイルにしてあって
沢山置いてあったコーナーだった。
息子達が1歩もそこから動こうとせずに、
黙ってそのファイルをあちこち読んでいた。
防空壕の中で泣き叫ぶ赤子を静かにしろと言われて
殺そうとしている母親の様子など、
本当に痛ましい、涙を誘うものばかりだった。
展示を見終わって出ると目の前にガラス越しに真っ青な海が。
それはきれいで悲しすぎる海だった。
子供達がアンケートに真剣に書き込んでいて来て良かったね、と
主人としみじみ話した。

その後ひめゆりの塔に。
入館時間があと10分というギリギリのところで入れた。
ここでも当時の痛ましい展示があって、
たくさんの亡くなった看護生の写真のパネルが飾ってあった。
証言のファイルも同じように置いてあって、
そこに出ていた名前と同じ名前のパネルがあるのに気がついたと
娘が言っていた。

ただ海がきれい、楽しいだけの沖縄旅行にしたくなかった。
最後に戦争という痛ましい出来事がここであったのだということ、
それもたった50年前に実際にあったのだということを
認識してほしかった。

印象深い観光が出来て、運転手さんにお礼を言って別れる。
おかげで帰りは子供達は少し静かになっていたかな 笑
空港で夕食を取り、慌てることもなく8時の便で帰京。
自宅に11時頃に戻る。

仕事のメールを開けるとフリーズしてしまうほど注文メールが届いていた。
ざっと4〜50件ほど。
お返事は明日になってからにしよう。


2002年08月10日(土)
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