とちゅかとまちゅもといきゅたとなきゃい〜分家〜
戸塚溺愛松本翻弄され、しを生田に求め中居足蹴にしてる毎日です。

2003年08月18日(月) 生と死と

中居さんお誕生日おめでとうございます。31歳ですね。
去年もアナタは「もっと落ち着いたほうがいいのかなぁ?」などと
無駄なことをラジオでほざいてましたが、
今のままでいいと思います。と言うかムリに変わるなんて無意味だと思うし。

自分の好きな人が、「楽しい」「幸せ」「嬉しい」とか、
そう言う気持ちで毎日過ごしてくれれば、一番の幸せです。
もちろんそれだけじゃないんだけどね。

18日は熊本にいました。祖母の墓参りです。
99年に祖母が亡くなったその日、私はSMAPコンで仙台にいました。
仕切りの悪いイベンターのお陰で駅前の行列に並んでました。
そこから九州へ帰れる訳もなく。
翌日も兄から「来なくていい」と言われ、2日目のコンサに行ってました。
その後、福岡スマコン時に仏前へ手を合わせに行ってはいるのですが、
なんとなくココロに引っかかるものがあったんですよね。

2年前隣市に住む祖父が亡くなり。
その時は悲しむひまもなく、バタバタといろんなことが過ぎ、
ふと落ち着くと祖父は大往生だったなとほんわりした気分になったこと覚えてます。

昨年、可愛がっていた後輩が自殺しました。
妻子を残して、27歳の早すぎる死でした。
祖父と同じ寺に眠っているので、たまに行くことはあるのですが
今も綺麗に飾られてる墓を見ると、いかに奥さんに愛されているかって。
あんな悲しい思いは二度としたくないです。

今回祖母の墓参りにどうしても行きたく、
熊本の叔母に頼んで連れて行ってもらいました。
何か罪滅ぼしと言うわけでもないのですが、そんな気持ちがあって。
どうしても墓前で手を合わせたかったんですよね。

人は生まれたら死ぬ。
自分で寿命を決めてしまう自殺、
人に決められた殺人、
不慮の事故、そして天命全うした寿命。
みな同じところに今いるんでしょうか?
私の人生が終わったら彼らに会うことはできるんでしょうか?

自分が死にたいと思ったことは無くは無い。
でも楽しい事の方がこの世には溢れてると思うから。
自分で命を絶てるほどの勇気も持ち合わせていないから。

大好きな人のお誕生日を迎える度に
深く考えさせられる気持ちがあるんですよね。
全ての人に、生まれてきてくれてありがとう。
全ての母親に産んでくれてありがとう。
そしてあたしも頑張って生きていこうって気持ちになるんです。
後悔したり、間違ったり、見逃したり。いろんなミスを重ねても
最後に楽しかったって振り返られる、そんな一生を送りたいです。


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