ディリー?闇鍋アラカルト
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人は望みを抱く。 どのような人も抱いた望みを実現させる為に生きている。そしてその人の現在はその結果とも言える。 高校時代に医者になろうと決意したとする。それでもなれる人もなれない人もいる。医者になる事が第一の望みであるなら医者になれる可能性は高い。しかし、人には望みが一つとは限らないし(と言うより数限りない望みがあるのだ)、気付かれない望みや失敗もある。 僕は高校時代に昆虫学者になろうと思っていた。 しかし、僕の望みはそれだけではなかった。それ以外の世界も知りたかったのだ。 ウィンパーの「アルプス登攀記」やバード少将の南極探検記を読んで心ときめかせたのは未知の世界への憧憬があっただろう。 小中学時代に高い山に登りたかったのは低い山にはいない昆虫を見たかったのだけれど、成長するにつれて昆虫以外のものも知りたいと思うようになった。 一方幼い時期から歌が好きで、吹奏楽部にも所属したので音楽への望みも出て来た。しかし、僕が担当した楽器がユーフォニウムだったので、プロの演奏者という事はあまり考えなかったけど。 大学時代には合唱団にも在籍した。でも、僕は自分の好きなように歌いたい人なので、誰かの指揮によって歌いたい人という訳ではなかったので一年程でやめてしまった。 いろんな歌の歌詞に抵抗を感じている事を意識するようになったのはこの頃からかも知れない。 自分の中に表現したいという思いがあるのにも気付いた。僕の思いは、今までに誰かが表現している思いと違う。それならば自分で表現するしかない。それでいて、どのような表現なら自分で納得出来るのかは???というしかなかった。 劇団のテストを受けた事もある。「どのような役をやりたいですか?」と聞かれて「存在感のある通行人」とか何とか答えたような気がする。僕は演技力に付いては面接官を感心させられるレベルではあった。しかし、僕は「あなただけを愛します」なんて言いたくない人間でも有るのだ。演劇を仕事とするには既成演劇では重要人物の役にはなりにくいとも思っていた。 文章を書く事もしていた。小説は書かなかったが詩のようなものを書いて雑誌に掲載された事がある。ファンレター?が来てそれから文通が続いた。 それまで書いていたのはエッセーのようなものだったが、相手がはっきりしている手紙の場合はポイントが絞れるし、反応が分かるので僕には向いているように感じた。不特定多数の人に向かって書く小説にはあまり食指が向かなかった。 それに、小説家としての登竜門である芥川賞を目指す人間とは言い難い面が有った。芥川龍之介に関してこの闇鍋でもhttp://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/month?id=99310&pg=200208 (芥川龍之介3が9月1日)と書くような人間なのだから、小説家向きとは言えない。芥川風に言うなら、心の中の野獣をどうして良いのか分からずに模索していたのだと言えるだろう。 僕は望みを仕事に反映させる事の困難さを感じていたのだ。 ヘルマン・ヘッセは詩人以外になりたくなかったという。ヘンリーミラーは43歳で仕事を辞め「書いて生きるか、さもなくば死ぬかだ」というような事を言ったらしい。そういう気持ちが分かる。既成の仕事で、僕という人間がどのように生かされるというのだろう?望みとは関係の無い仕事でこの人生を費やしたくなかった。
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