ディリー?闇鍋アラカルト
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更新のサボり最長記録達成!で、「闇鍋」ファンの方々、申し訳ありませんね。 いろいろあるんですよ・・・・
さて、本日のテーマは敬語です。
僕自身敬語の使い方は人並みには知っているし、それなりに使うけれど、あまり使うのは好まない。 このサイトの「管理人から」に↓のように書いたように、フランクな表現を好んでいる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ チワーッ。管理人の稲村りょうです。わたしは堅苦しいのが嫌いなんで、「いなっち」でも「リョースケ」でも好きなように呼んでくださいね。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最近はいなっちに統一されつつあるけど、違う呼び方でも構わない。 僕は年上の友人もいるし、年下の友人も沢山いる。 ブーメランに取り組んでいた時には小学生が沢山遊びに来ていた。 小学生たちは僕の事を「○○(僕の本名)ちゃん」と呼ぶ事が多かったが、呼び捨てする子もいた。僕はそれで一向構わなかった。だって、それは親愛の表現だって分かっているから。僕を呼び捨てにする子も、僕が世界大会に代表として出場してた事は知っている。僕の技術や知恵に対しての敬意というのは彼なりに有るのだ。だから、「なんだよ〜。それはこういう事だって事が分かんないのかよ〜。」と答えると「あ、そうかあ」と実に素直だった、尤も納得出来ないと納得出来るまで食い下がる事も有るけど、そういう事をしてもきちんと答えてくれるという安心感も有ったと思う。敬語でない方が話は速い! 街を歩いて、その頃一緒にブーメランを投げてた成人した小学生が僕に声をかけてくれる事もある。「○○ちゃ〜ん」「おう、久し振りだなあ、元気にやってるかあ?」僕は、大学時代に多くの若者たちが「おとなたちは信用出来ない」と言ってたのに、信用できるおとなたちが居る事に確信を持っていた。どんなに信用出来ないおとなたちが多かろうと。それは子供の頃に親切なおとなたちと交流していたという記憶が元になっているような気がする。(2002年09月16日(月) おとなは信用できない!!! 参照)そして、僕はそんな優しいおとなたちのように多分成れている事が嬉しいのだ。
翻って、タメ口をきいたのきかれたのという事で暴力沙汰の話しを聞くと悲しくなる。それはタメ口の問題と言うよりは信頼・支配・反抗の問題であるのだ。押し付けによって問題は解決しない。自分自身の方が年長でそれだけ理解も勝っていると思うなら、そして相手の理解がそこまで達していないと考えるのなら、理解の及ばない人にどのようにしたら理解に至れるかを手伝ってあげるのが年長者としての役目なのだと僕は考えるのだが・・・・
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