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■ 決めて、断つ。その勇気。
何が一番正しい道なのかなんてわからない だけど後悔だけはひとつも残したくはない あたしはいつかあたし自身の道を行くために 胸張って笑って生くために 歩き出すチカラを この手に この足に このココロに
そのために、いまここで退く。
ここ数ヶ月考え続けてきたことに結論を出した。 大学やめて、実家に戻る。 そこで就職口を見つけて仕事をし、経済的にも精神的にも落ち着いたところでどうしたいかもう一度改めて考え直す。 だから、京都に居られるのはとりあえずあとひと月とちょっとになる。 当然、バイトもやめる。やっとできることも増えてきて、時給も上げてもらって、さぁこれからまた頑張ろうって矢先に終わりなんて嫌だけど。 仲良くしてくれた人たちとも別れることになる。そう簡単には会えなくなる。
骨埋めたいくらいに愛してやまないこの街を、あたしはもうすぐ出て行く。
ありとあらゆる可能性と状況を想定し、できる限りあたしにとって良かれと思える道を選び取りたくてずっと考えてきた。 その上で出した実家に戻るって結論は、散々悩みぬいた末のモノとしてはものすごく甘いと思う。 逃げるのかと言われたら何もいえない。 結局、ラクな道へラクな道へ走ってるのだと。 そう言われて、違うと否定したところで自分を正当化するだけだ。 一番大事にしたいモノと、一番優先しなきゃいけないモノとを考えたとき、たとえ現状のあらゆる条件がそれを許さないのだとしても、そこで抗って立とうとすればいくらでもできるはずなんだ。なのに、そうしなかった。 逃げだ。 甘えだ。 自分に、立ち向かわなかった。
あたしは、やっぱり弱い。
それでも、これが納得した上での結論。 ほんとは帰りたくなんかない。意地でも京都に残りたい。そう思ってる。 だけどもう、何のために残っていたいのかがわからなくなってきた。 あたし一体何がしたいんだと。ここで何ができるんだと。 どんなに好きな街で好きな人たちと居られても、何の目的意識もなくただ生きてるだけってことになる。 今だって何にもない。それがさらに大学やめてがむしゃらに働いて食ってくだけの金を手にしたところで、ただ「生きてる」だけで何が変わるのかもわからん。そうしてがむしゃらになって生きようとしていく中で何かを見つけるかもしれない、なんて考えたところで、いま生きること自体に消極的な自分が果たしてもつのかと思うと。 その自信は、はっきり言って無い。 どんだけ寝惚けたこと言ってんだと言われても思われても。 というかそもそも、「言われる」「思われる」って言葉が出る時点で人の目を気にしすぎていることが明白なわけで。いまさら人の目気にしてられる状態じゃないのに、この期に及んでなおそういう意識が生まれることも嫌だ。 そんな自分がやっぱり嫌いだ。 でも 「勿体無い」とか 「甘えてる」とか 「逃げてる」とか 「根性無い」とかさ じゃあ自分と逆境に打ち勝つために意地でも此処に残って必死こいて稼いで親の言葉も跳ね除けてやってやらんかったら、ダメってことなんだろうか。 まともな夢もなく後ろばっかり向いて、頭ばかり回して動き出せずにいるだけの人間なんて、生きてく価値ないんだろうか。 人の言葉に影響されやすいあたしみたいなんが、いろんな人に話を訊いた上で最終的な決断を自分自身で下せるかなんて、そりゃ無理だ。決めてから言われたことでまた揺らいでしまう、それほど芯の無い意志でしかない。否定はできない。
…こうしてまた、人の目を気にしている。 そんな自意識過剰で卑屈な気持ち持ったままでいるのも嫌だ。 それ直したい。もっと確固たる意志や信念や夢持っていたい。 そのために、一寸息入れてゆっくりしてまた明るく笑えるだけの余裕持つために、そのために実家に戻るんだと思いたい。思えばいい。 甘かろうがぬるかろうが、またそこでぬくぬくしてへたれるだけだと言われようが、いまあたしがそれを望んでいるんだ。 倒れてもいい。 泣いてもいい。負けでもいい。走れなくてもいい。 この先必ず立ち上がって先に進むんだと誓う、その想いだけは絶対に手放さない。 今すぐ立ち上がって走り出せない自分を責めない。甘ったれでもいい。 何があっても変えてやるんだって気持ちを忘れないでいることを、大事にしたい。 だから。 今は。
退くことも勇気のひとつだって。 その言葉がキレイゴトなのか真理なのかなんて、そんなこと問題じゃない。 大事なのは、あたし自身が見て知ること。そして信じること。 なにするにしても自信も勇気も決断力も無いあたしがいま持てる、最大の勇気なんだ。 そこからのスタートでいい。 必ず、その先へ行ってやるんだ。
2005年04月14日(木)
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