ミドルエイジのビジネスマン
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2004年12月05日(日) カエサルのガリア戦記を読む

紀元前58年にカエサルがガリアで戦ったとき、ヨーロッパの覇権を握ろうとしていたヘルウェティイ族の総人口は26万人、彼らはアルプス山脈の北側レマン湖付近の狭い土地を捨て、周辺の部族10万人を誘って大移動を開始した。だが、カエサルに阻止されて敗れ、元の土地に追い返された。その後人口調査をすると、合計36万の人口がわずか11万人になっていた。しかも、カエサルが元の土地に彼らを帰したのは、慈悲心というより、奥地からのゲルマン民族の侵入を許さないために、荒廃した空白地を作りたくなかったからだ。戦いに敗れることは、ほぼ部族の滅亡を意味し、戦闘員ばかりでなく、老人、女、子供も殺戮されてしまうという命の安い時代だった。

ガリアの地は諸部族が対立していたので、ある部族がゲルマニアの「癇癪持ちで無鉄砲な野蛮人のアリオウィストス」という王の率いる傭兵を雇ったら彼らが居座ってしまった。ゲルマニア人は最初は1万5千人だったのに、あっという間に12万人に増えてしまい、結局ガリアは彼に乗っ取られてしまう。カエサルはアリオウィストスとも戦うのだが、ゲルマニア側は戦列の後ろに四輪馬車や二輪車をぐるりと置いて、兵士の逃亡を防ぐばかりかその馬車の上に女たちを乗せた。女たちは自分たちがローマに奴隷として送られないようにして欲しいと手を差し伸べ、涙を流して訴えたという。結局、カエサルが撃破してしまい、ゲルマニア、ガリアの連合軍はレヌス川まで7.5キロを敗走し、大半が殺されるか、大河で溺れ死ぬ運命を迎える。アリオウィストス自身は小船に乗って逃走したが、二人の妻は逃亡中に死亡、娘も二人いたが、ひとりは死亡、ひとりはローマ軍に捕まってしまったという。

ローマ時代のヨーロッパといえば森林ばかりで、戦いの規模はせいぜい数千人単位くらいで、戦術としても森の中から弓矢を射るくらいではないかと勝手に想像していたが、あまりに大規模な戦争なので驚いてしまった。「ガリア戦記」などと勿体をつけたタイトルで、しかも、英雄の書いた本ということなので、よほど難しい内容かと思っていたら、記述も具体的な記録ばかりで大変解りやすい。

もともと、学校の歴史で習った「カエサルがガリアを平定した」とか「ゲルマン人の侵入」という抽象的な表現が具体的にどの程度の規模やどのような形態で行われたのかという興味で講談社の文庫本を買ったのだった。当時の戦略や戦術も学ぶことができて、当初の期待を超えるいい買い物だったと思う。


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