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ささやかでもない1日
Johgen
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     2003年08月17日(日)
時事日記お休み ささやかな一日〜北海道にて2日目〜


連日仕事。 旅疲れも寝不足も棚上げしてる状況で続いてるので 寝るのが精一杯。日付変わる前に気絶してる毎日。小刻みに更新します。

時事日記好きな方は よその時事日記へ(* ̄▽ ̄*)

15日
層雲峡佐呂間網走13:30知床<泊>
層雲峡のホテルを8時に出発し バスはオホーツク海目指してひた走る。
北海道の地図のコピーを渡され 旅程の道をカラーサインペンで塗ったり 難解地名のクイズをしたりして 時間を過ごすが 朝4時に起きたメンバーは当然眠い。うとうとしたり ガイドさんの案内を聞きながらバスは走る・・というものになっております。←マイブーム

天気は 見る見る間に回復し サロマ湖は原生園につく頃には大晴天。
少し動けば汗ばむほど気温も上がり 晴れて半そでシャツ。
雲のない真っ青な空 さわやかな風 広い大地 絵に書いたような北海道!
わたしは地平線とういうものを 生まれて初めてじっくり見たと思う。
500円で自転車を借り 原生園の中をオホーツク海に沿って走る走る。観光客は多いのに 誰も回りにいなくなる・・という状況もしょっちゅう。見渡す限り野原で 自分がどこにいるのか分からないという状況もしょっちゅうあった。もちろん道は一本で 迷うも何もないのだが そんな状況も単純に嬉しい。
デニムのシャツをはためかせて 自転車を漕ぐツレのA子の姿を見て わたしと従妹が同時に ドラマのDr.コトーの姿を思い出す(笑)
あのドラマの舞台は南の端っこなんだけど 青い空と海と彼女の髪型のせいだな。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、レストハウスで留守番していた伯母達の目の前で 伯父が自転車ごと柵を越えてすっ転ぶ・・というアトラクションも無事に終わり(怪我がなかったのでこんなことが書ける)いい汗をかいて北海道を満喫した。

そこから網走目指してバス移動し ネットでおなじみオホーツク新鮮市場の上で昼食。ひとり1匹ずつの毛蟹の食べ方をレクチャーされて しばし蟹と格闘。ホタテの地場らしく ホタテご飯も美味。蟹と格闘してる間にすっかり冷めてしまったけど。

昼食後 土産物屋のオフシーズンの蟹を冷やかして バスは刑務所跡地を遠目に見ながら知床岬へと向かう。
山にさしかかると 車窓から見える野生の鹿の数え。「右しかっ」「左前しかっ」・・・今思えば なんだかなぁなんだけど バスの中ヒマだし(笑)

話は関係ないけど 昨夜(19日)夜の8時ごろ うち(新神戸)から5分も歩かないところで かなり大きな野生のイノシシとすれ違った。
大型犬よりはるかにでかい奴で スーパーの袋をぶら下げてたのでついて来られそうになった(笑)スーパーの袋を胸に抱えるようにすると大丈夫なんだけど。・・・北海道の山で出会うシカより こっちの方がすごくない?

キタキツネ牧場のみすぼらしーいキタキツネも見学し お決まりのネタで「ル〜ルルル〜」と ドラマの蛍ちゃんのようにキツネを呼んだりもして(あれはドラマの中でのフィクションらしい)しょぼい気持ちになる。しかしここでは 実物より遥かに愛らしいキタキツネの絵葉書を5枚もくれたので よし!

知床峠では霧に包まれる。国後を望む展望台でも前方は真っ白で見ることは叶わない。

北方四島は日本に返還されるべきものかもしれない。
しかし 北海道を旅していると ここは遥か昔に 日本が侵略した土地だろうと思わざるを得ない。ノサップ タッピ ピップ シャコタン ウトロ・・これのどこが日本やねん・・・・・。言語が日本語とは明らかに違うアイヌ民族の土地だ。
長い時間の経過というものは 色んな禍根を風化させて さも当たり前のように事実を覆い隠すが 時の当事者の傷まで風化させてはいけないんじゃないかと思う。忘れないことと許さないこととは全く別のことなのだ。
「忘れませんが 許しましょう」日本に戦争責任の賠償請求をしなかった周恩来の言葉らしい。


知床で一泊。
着いて10分で ホテルの非常口から 水平線に沈む夕日を見ることができる。食事は 昨日よりはマシ。蟹の足数本・・洋風料理にかけられた偽物のいくら(笑)いくらの形してるんだが 味があまりにもぼんやりしてるんだもん。
ここでも 鱒がいっぱい出てくる。石狩鍋とか・・・。

お風呂まぁまぁ・・でも露天がやはり気持ちいい。夜には上弦の月明かりに負けてない程度の星☆


明朝は今日より時間的に余裕がありますよ・・といわれながら オプションツアーの出発は やはり6時過ぎ・・・。はぅ(T▽T)