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2002年11月03日(日) ■ |
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意思伝達装置 // 里子を殺す // 運転士を殴る // 明日香村 // プーチンの歌 //無神論者は入れません
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◆考えるだけでイエス・ノー伝達する装置 目蓋や眼球も動かせないような重度の身体障害があっても 意識ははっきりしている人に朗報。 質問がきめ細やかだと Yes Noだけでもあらゆるコミュニケーションが取れるだろう。 すごーーい!!!
◆里子殴って死なせる 日常的に虐待の疑い・・・だったら最初から里子を採るな。
◆運転士殴って電車遅れる 靴履いたまま 座席に上がってはいけないことくらい 3歳の子どもでも知ってる。それを注意されたからといって運転士を殴って逃げるか? 絶対許すな、そんな奴!!掴まえたら市中引き回しの刑ケテーイ!
◆古代の森再生するプロジェクト 奈良県明日香村で広葉樹を植えるところから。 年月が掛かりそうな事業だ。建設は死闘。関係者各位 がんばってください。
◆大ヒット曲 プーチン見たいな彼♪(ロシア) わたしも プーチン大統領 好き。 ビジュアルも 矢面に立つ決断力もオットコマエ(* ̄▽ ̄*)♪
◆無神論者にボーイスカウト資格なし 人知を超えた力を信じられない人は ボーイスカウトの考え方に一致しないと言う理由。 国際的には 無神論者=共産主義 という構図もあるらしいし 日本人の多くはボーイスカウトに入れないじゃんという気もする。 「信じてないのに 信じてるとは言えない」なんて かっこよく聞こえはするが 人は まず 基本的に何かを信じる事からはじめなければ コップ一杯の水を飲むことさえ出来ないものだ。 仮に自分の手ずから汲んだ水だとしても 大元の水源の水質を信じることが出来なければ水は飲めない。
同じように 道を行き過ぎる人のすべてが悪人で 自分に危害を与えるのではないかと疑ってしまえば それはもうノイローゼだ。 しかし道を通り過ぎる人のすべてが 自分に突然危害を加えない人であるという保証などどこにもない。 そういう意味で 人の日々の行為のすべては まず信じる事から始まっているはずだが 実はそこには信じるに足る何の根拠も無いのが現実だ。 朝起きた時 すべてが昨日の続き・・と考えるのは お気楽極まりないことなのだということに気づけば、人はおのずから 人知を超えたものを信じたくなる。それが宗教の根源だろう。 そういう意味でも 日本は平和ボケ。
そして 創価学会を含めて(わたしは会員) 宗教=カッコワルイ アヤシイ なんて非常に不正確な図式を 特定の宗教を持たない人々に与えてしまった罪は 宗教団体自身とソコに属する人の行為そのものにあるのだろうということを わたしも含めて反省しなくてはいけないのだろう。
宗教は 羅針盤や座標軸に例えられる。 自分が人生に迷った時 自分の位置を確かめ より正しい方向に修正するのが宗教であるはずだ。 泣き縋るものでもなく ただ拝めば助けてくれる他力本願では絶対にない。 自ら求めて初めて 自己責任を伴って正しく導かれるものではないかと思う。 ゆえに 羅針盤や座標軸そのものが絶対正しくなければならないという理(コトワリ)なのだ。 んで 人や自然や外部的要因のすべてを味方にするくらいの運を自らのものにして 人生を切り開いた時 人はそれを ミラクルと呼ぶのだ。 人はよく小宇宙に例えられるが 人の持つ可能性は無限。 それを信じられるのも宗教の力なんである。
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ハーボットに住んでもらうことにしました。 たまに遊んであげてね。
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