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2002年10月02日(水) ■ |
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北朝鮮公表資料 // 自殺の経緯 ・架け橋 //monologue
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◆北朝鮮公表資料1 ◆公表資料2 ◆横田めぐみさん自殺の経緯 ◆寺越さん 日朝の架け橋に
誰しも どんな状況であろうとも 肉親の死など信じたくない。 平易な生活の中での死ですらそうなのだから ある日突然外国に誘拐されて行方不明となり 生存を信じ続けてきた我が子が数十年後 他国で不慮の事故で死んだと聞かされて はいそうですかと信じるわけにいかない。 拉致家族の気持ちは理解できる。
「うつ病で自殺しました。」と聞かされて 「ああ そうだったんですか」とは言えない。 そんなことをする子じゃありません・・・それは親として当然の反応に違いない。 が しかし 誘拐されて(あえて拉致とは言わない)から自殺するまでの16年の間に 彼女が あの明るく美しい歌声の少女のままであったはずもなく、自殺したことが真実ではなかったなどと言い切れるものではない。
歴史に「もし」がないように 個人の過去においても「もしあのとき・・」と想像するのは詮無いことである。 誘拐されていなかったら 日本人としての平凡な人生を暮らしていたことは想像に難くないが、誘拐されていなかったら 将来も絶対にうつ病で自殺しなかったとは 誰も断言できない。
拉致された人々は 本当に気の毒で 何故うちの子が・・という点においては不運としか言いようがない。 何の縁もない見知らぬ通り魔に 罪もないのに刺されて命を落とした人の遺族が 犯人を憎むのと同じように 拉致家族は 持って行き場のない怒りや苦しみを 北朝鮮と25年間無策であった日本へとぶちまける。それも当然のことだ。 が しかし 亡くなった人は帰ってこない。 もし仮に 生存していることを北朝鮮が自己都合で隠しているとしても それは死に等しい。 仮に 再び会うことが出来たとしても 思い出の中に生きている中学生のお嬢さんでは絶対にない。現実は想像よりも非情で残酷なものに違いない。
『全員生存』 拉致家族にとって その答えしか納得が出来ないのだとしたら それほど不幸なことはない。
寺越さんは 北朝鮮で生存し 40年ぶりに思い出すことも出来ない祖国日本の地を踏み日朝の架け橋の役割が出来れば・・という。 その言葉を素直に信じたい。 彼がこの40年の歳月の中で いかに北朝鮮寄りの人間になっていたとしても・・だ。まさか スパイだったり工作員として日本に潜入するわけではあるまいなと言う疑いがもたれたとしてもだ。 相手を信頼しなければ 関係と言うのは一歩も進まない。博打のようでさえある。
日本が北朝鮮に対し 拉致を国家の犯罪と認めさせ 国交を樹立する前に毅然とした態度を取るのは当然のことであるが、提出された資料の全てを嘘だと糾弾し 国家レベルでの話し合いを暗礁に乗り上げさせることが 果たして国益なのかどうかと言う点で甚だ疑問である。 25年間 日本として何も手出しの出来なかった北朝鮮と言う国が 嘘を交えながらでも 真実を小出しにしながら いつでも日本に発射できる用意のある核を隠し持ちながら 交渉を始めているのだ。 批判するだけでは好機を逃し また振り出しに戻るに違いない。 たまに褒めたり きつく叱ったりしながら 社会からドロップアウトしている子供を社会復帰させるような計画と根気が要ることだろう。
北朝鮮では 将来どころか明日の食料にすら飢えている子供がいることを忘れてはならない。 わたしの考える「世界平和」の最低の定義は 国を問わず すべての子供が明日の生活に不安のない環境で生活することだ。
「北朝鮮の子供のことまで知るか」という考え方は 拉致家族に同情する日本人として陥りがちな感情かも知れないが、それは 自国さえよければ隣国の民間人の拉致をも辞さない彼の国と全く同じ考え方だということを心に留め置きたい。
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