6時過ぎに出発
7時新富士駅出発
10時品川駅着、成田エクスプレス乗り換え
11時成田空港着、出国手続きを行い、12時成田発シカゴ行きの便に搭乗、成田離陸。 離陸時に「これは死んだ」と思う。何せ、今自分が命を預けているのは、なんてことはない鉄の塊だ。それが宙に浮き、途方もない時間と距離を飛び、遠い米国まで行くというのだ。物理学上はそりゃあ可能なのだろうが、鉄の塊が飛ぶと言う時点でもう信じられない。もう二度と自宅の敷居をまたげないかもしれないという必死の覚悟で出発してきているのだ。離陸のための加速時に「ああ、死ぬ、死ぬ」と思い、タイヤが離れた瞬間にやはり「死路への旅だ」と思い、上昇中には「今失速したら間違いなく死ぬであろう、パイロットがんばれ!」と誇張ではなく思った。もちろんそんなことはなかったのだが、どうも飛行機を信じる気にはなれないようだ。
機内で12時間過ごす。 初めての飛行機に戸惑い、動きが固まる。 分からないことだらけで、前日の徹夜もあることだし、早々に寝てしまおうと思った。アルコールが入ればよく眠れるであろうと考え、ワインを二杯ほど飲んだところ、それが不味かったらしく、非常に気分が悪くなる。さらにオードブルのパプリカが追い討ちをかける。胃に残って気持ちが悪い。何とか持ちこたえたものの、一時は吐く寸前まで追い詰められる。眠ることで何とかやり過ごす。目が覚めたころにはすっかり気分も良くなり、飛行機にも慣れてきたので、「オーシャンズ12」を見て過ごす。 シカゴ上空まで来ると、高度も下がり地上の風景がよく見える。人の住んでいるはずの地上が、ちっぽけな玩具かミニチュアのように見える。このまま落ちるのではないかと余計な心配をする。離陸時ほどではないものの、無事着陸できるのかと心配になる。
現地時間8時、Chicago到着。 お世話になった機内乗務員の方にお礼を言う。中でもクリスティさんは、ビビアン・スーに似ていて、やばいぐらいに非常にかわいい。日本語が片言なのも、あざといぐらいにポイントが高い。何かの店と勘違いしているんじゃないだろうか。もちろん勘違いしているのは自分である。
初めての異国の地であるが、当然ながら外人だらけで、しかし連中からすると当然我々が外人なわけだ。そうか、我々が外人なのか、と新しい刺激とちょっとした孤独感に見舞われ、感慨にふける。
入国手続きを済ませ、父親と合流した後、空港から出る。外は快晴だが、風が冷たく、9度しかないのだという。空港からは父親の車でINTERSTATE57を南下し、4時間かけてIllinoisでも南に位置するSalemの赴任先への道のりとなる。広い。
Illinoisまで行くとほぼ米食となるため、Chicago市内で日本食を取り扱っているスーパーマーケットMitsuwaで、食糧を買い込む。客も日本人ならば取り扱う品物のもすべて日本のもの、表記ももちろん日本語で、アメリカを感じさせるのは値札が米ドル表記であることぐらいであった。ちなみに、その日は近所の高校生?が野外教室か何かで、このマーケットに来ていた。国内での異文化学習には、きっとちょうど良いのだろう。
I-57を進むこと3時間、Tuscolaのアウトレットにて休憩。レコード屋もあったので、メリケン連中がどんな音楽を聴くのかと敵陣視察を行うとともに、何枚かCDを購入する。国外行ってまでやることじゃないのは自覚しているが、買ってしまったものは仕方がないのだ。安いんだもん。アルバム1枚が約15〜20ドルで買えてしまうのは、大きな魅力である。
Salemに着くころにはすっかり日も暮れ、小雨も降り出していた。しとしとと降っていたのだが、父親いわく「こんな降り方は珍しい」とのこと。サンダーストームと呼ばれる激しい雷雨が通常であるらしい。運が良かったのか悪かったのか、しかしそれも一度ぐらいは見てみたかった(結局滞在中は見られなかったのである)。
そんなこんなで、USA一日目が終了。時差ぼけなどまったくない。スゴイな自分。
ところで赴任先は近所まで近くて2〜3km、車がないと生きることすらままならないとか言う事前情報はいったいどこから出てきたのか。ちゃんと周りに家もあれば人も居た。裏には犬も居た。ついでに鳥もリスもウサギも居た。自然がいっぱいであることは、間違いないようである。
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