2007年03月30日(金) 講習も もうすぐ終わり 我思う
ご無沙汰。
今日で5日間の無料春期は終わり。あれから、なんとかなんとか赤字じゃない程度(私の給料は抜きで)に生徒が集まりました。ただ、全員がこの無料体験後に入塾してくれて、しかも新旧の塾を併せてだが。新しい方だけだとまだまだ採算取れない。まあ、少しずつ増えていくでしょう。
なんか妙に疲れてしまった。人の財布の紐を解くことの難しさよ。どこの馬の骨ともわからない私に、そう易々と金を出す人なんて当然いなくて、もしいるとしたら、その人はオレオレ詐欺にでも簡単に合ってしまう人だろう。生徒や生徒の親の中には私の正体を暴こうと必死な人もいて、私は信頼を得るのに必死で、まるで企業の最終面接を受けたみたいに、授業後はぐったりしてしまった。
私はそういうことに関して異様に敏感なので、無意味にへこんだ。へこんでもなんの解決にもならないどころか、先に進む足を引っ張るだけだってことはわかっているのに、この沈んでいく気持ちはどうにもならない。私はいい意味でもっと鈍感にならないといけないのだ。
細かいことに動じず前に進んで行くには、自分に対する無条件の自信という一本の芯がないとダメだと思う。それって、自分のやってることの実績への自信とか、そういう後でつけたような自信じゃなくて、自分自身は「当然生きていてよい」というかそんなことも思わないほどの「生への自信」みたいなものだ。うまく説明できないけど。
その自信は、子どものころから培うもので、大人になってから得ようと思ってもダメなんじゃないか。見た人ならわかると思うけど、『華麗なる一族』の鉄平も途中まではよく持ったが、結局あんな風に終わってしまったように。私にも当然そんな自信はないわけで、持っている人にものすごく劣等感を抱いたりしてしまう。これから、どうやってその芯に代わるものを培っていこうか。
親の存在って子にとってものすごい影響力がある。子供にシアワセになってほしければ、英才教育をほどこすんじゃなくて、精一杯愛してやることだろう。ゆるぎない「生への自信」を培ってやることだろう。そうすれば、少々勉強ができなくても、力強く生きていけるんじゃないかと思う。
まなティが生まれて、今まで見えなかった大事なことが色々見えてきた気がする。そして、私に足りないものは、すべて子供の頃においてきてしまったのだということも。
さて、気を取り直して夕方の授業に行ってきます。
つづく。
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