2006年01月18日(水) 出産記 忘れぬうちに 記しとこ
生後1m22d
そういえば、まなティ、無事オーストラリア人になったのだ。日本の国籍はこれから申請するところ。しばらく(18歳までだったっけ?)二重国籍になる。
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ところで、出産時の日記を書こう書こうと思いながら、ずいぶんと時間が経ってしまった。時間軸に沿って詳しく書こうと思ってたけど、もう面倒くさいので、かいつまんで書こうと思う。エグイ表現もあると思うので、嫌いな人はこの先読まないでくだされ。
そもそも、陣痛が始まってなぜ64時間もかかってしまったかというと、今思えば、担当医が帝王切開をしたがらなかったからだ。
私の身体のどこが不良品だったかというと、子宮口(子宮の入り口)だ。陣痛が始まっているのに、子宮口が全然開かなかったのだ。陣痛も変だった。25日の午前11時頃から陣痛が始まったのだが、間隔が5分〜10分と規則的じゃないのだ。ずっと前駆陣痛なんだろうと思っていたが、結局最後まで不規則なままで、あれが本番の陣痛だったのだ。
陣痛は不規則ながらも常に5分〜10分間隔で訪れ、食べることも寝ることもできないが、子宮口は一向に開いてこない。体力の消耗を軽減するために、入院し下半身に麻酔を打ってもらい、2時間だけ眠ることができた。
もう精神的にも肉体的にも限界だったので、先生に帝王切開にしてくださいと何度も言ったのだが、もう少し待ってみようと言われ続け、とうとう丸2日経ったときに、人工的に破水させることになった。こうすると子宮口が開きやすくなるのだとか。
破水させたからもうじき開くと言われたが、私の子宮口はどこまで頑固なのかまったく開かないのである。それなのに、陣痛は激しさを増し、丸2日陣痛に耐えてきた私の身体はもうボロボロだった。ここで無痛分娩の麻酔を背中から入れてもらうことに。これで陣痛の痛みはなくなったのだが、まさか、ここから子宮口が全開になるまで15時間もかかるとは思わなかった。
疲労からか麻酔をしているからか、熱が出始め、血圧が急激に下がっていった。頭はモウロウとしていた。これ以上血圧が下がると麻酔をはずさなくてはいけないところまでいったがなんとかギリギリのところで持ちこたえた。
さて、無痛分娩といってもいろいろあるみたいで、私の先生のやり方は、ギリギリまで無痛にして、実際の分娩は麻酔が切れてからというものだった。赤ちゃんが下りてくるのを自分で感じて出せということらしい。そんなの無痛分娩じゃないじゃん! と叫びたかったが、いざ分娩が始まると必死でもうそれどころじゃない。
よくお産のシーンで、「いきんで!」と先生が言うが、私の先生も助産婦も陣痛がきたらいきむように、という感じで本人まかせだった。だからタイミングがイマイチつかめず、今いきんでいいのかなと確信がもてずにいきんだりしていた。
お産が始まってまた問題発生である。私の産道がやったら狭いから赤ちゃんの頭がきっつきつになって出てこれないというのだ。背に腹はかえられないので、やりたくなかったが吸引してもらうことに。しかし、吸引用のカップも入らない。なんつーこと! そこでお約束の会陰切開である。あそこをバチンとはさみで切って広げるのだ。しかも、2回(2箇所?)もやられてしまった。
やっとカップも入り、頭の血管が切れるかと思うほどいきんでいきんでいきみまくって、もう限界だと思ったときに頭が出た。それからは早かった。ポンッとお腹に血まみれのまなティを乗せられたときは、嬉しさと長かった戦いがやっと終わったという安堵で、相方と一緒に声を出して号泣してしまった。
(そう、相方は最初から最後までの一部始終を私の隣で見ていたのだ。私なんかよりもずっとエグイものを見たことだろう……)
まなティはお産があまりにも長すぎたのと麻酔の影響もあって、呼吸はしているがなかなか産声を上げなかった。あとで相方に聞いたところ、色も灰色で「ああ、ダメだったんだ」と思ったそうな。しばらくマッサージなどをしてやっと上げた産声は頼りないものだった。
お産が終わった私は、出血多量でヘモグロビンの数値が著しく低下し、一時意識不明になったりした。産後しばらくは顔面蒼白だったが、今は元気だ。
私の産道はどこまでも狭かったらしく、まなティは産道内で左肩を圧迫されて、産後すぐは左手をあまり動かせなかった。障害が出たと思って真剣に心配して、相方は泣いてしまったほど。だけど、先生に一時的にしびれたような状態になっているだけだから大丈夫と言われ、実際今はなんの心配もなく右手と同じように動かせている。
とまあ、かいつまんでもこんなに長くなるほどいろいろあったが、今は母子ともに元気に暮らしている。一番疲労困憊しているのは相方ではないだろうか。
それにしても、医学の進歩していない一昔前だったら私もまなティも今頃この世にいなかったかもしれない。妊娠なんて軽はずみにするもんじゃない。命を落とすことを覚悟でセックスしろっつーことだ。
まぁ、日本だったら64時間なんてことにはならなかっただろうなー。でも今になって思えば帝王切開しなくてよかったと思う。やっぱり、あの先生は正しかったのだろうか……。にしても、もう少しやりようがあったんじゃないかと思う。
つづく。
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>>「匿名メールフォーム」へのレス
・実際、貧血がひどくて産後はしばらく具合が悪かったんだよね。
そっかー首が据わったらおんぶができるのか。
おんぶって家事ができるからいいよね。
おんぶ紐の購入を考えようっと。
換気扇の音もよさそうだね。
洗濯機もいいだろうと思ったけど、
ぎゃんぎゃん泣かれてしまったよ。
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