2005年01月08日(土)  満足は 心の泉に 大嵐


マコ大時代の大嫌いだった先生に,面と向かって「あんた本当にムカツク」と言われる夢を見た。私は向かいの席でヘラヘラ笑いながらふんぞり返って,「あっそ」と暴言を吐いていた。私はどこまで行っても(夢の中まで)私なのだなぁと思うとおかしくて,起きてもしばらくニンマリしてしまった。

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火曜締め切りの原稿に追われながらも,途中上の空で「私の心を満たすもの」について考えてみた。

私は,だいたい25歳くらいまではものすごく好奇心旺盛で,あそこにもここにも行きたいし,あれもこれも食べたいし,考えうる限りの体験をしたかった。今の私を知る人には想像もつかないほどアクティブで,家にいることがもったいないと感じて家には寝に帰るだけだった(今はソフトひっきーだ)。

そのころは,何をやっても驚きや感動の連続で,自分が満たされているような錯覚に陥っていたけど,実のところ心を満たされていたかと言うと疑問である。「心が満たされる」というよりも,ただ「飽きない」と言った方がピッタリくるように思う。あれもこれも刺激があって,みんながイイと言うことは私にもイイんだと信じてやまなかった。


今はどうかと言うと,冷めている。何を見ても,何を聞いても,何をやっても,何を食べても,心の奥が冷めている。心の奥深くに何事にも波を立てない静かな泉のようなものがあって,昔は大波が立っていたようなことに,波紋さえも広がらなかったりする。外がどんなに大嵐でも,この心の奥の泉にはソヨリとも風が吹かない。

25歳あたりを境に,突然心の泉に波が立たなくなったので,どうしていいかわからず,力のやり場に困って毎日イライラしていた。毎日が面白くなかった。毎日100回くらいため息をついていた。つい最近まで。今思うと,あれが子供から大人への過渡期だったのかもしれないと思う。

今はと言うと,ある特定のものにだけ大波が立つようになった。何もかもに反応して大波を立てていたころとは違い,自分の心に波が立つことと,そうでないことの差がはっきりしてきた。自分がいったいどんなことで心の泉を騒がせることができるのかがわかっているので,無駄なく行動できる。世間がイイと言おうがなんだろうが,自分の食指が動かないものには一切反応しないで済む。流されずに済む。


今のところ,私の心に波を立てるのは,仕事,家族,金,健康しかない。正直,それ以外は立っても波紋止まりである。逆に,この4つのことにかかわっているときは,泉の底の水と表面の水が,瞬時にぐわーっと入れ替わるくらいの大波が立つ。それはそれはものすごいんである。心の中でぎゃーーーーーっと悲鳴をあげるくらい興奮するんである。これは25歳までに感じていた刺激以上の刺激である。

無闇やたらと中途半端な波を立て続けることではなく,静寂の中にくる大嵐,これこそ心を満たすものではないかと思う。だから,中途半端なことで自分をごまかさず,面白くない日常に自分を浸して心の泉に静寂を取り戻し,それから,自分はいったいどんなことで心の泉に大嵐がくるのかを,冷静に見守ることが大事なのだと思う。


つづく。


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