2002年06月08日(土) 人生で 大事なことは なんですか?
「社交性は必要か否か」
という問いの答えをココ最近なんとなく探そうとしてるんだけど、
なかなかはっきりとした答えにたどり着けない。
まぁ、答えなんてないと言ってしまえばそれまでだけど、
考え出すと止まらなくなってしまう。
私は社交性というものがあまりない。
あればあったで損はしないと思うけど、今のところ必要性を感じない。
一人で本を読んだり、調べ物をしたり、料理をしたり、
HPを更新したり、何か書いたり考えたりしているだけで、
毎日十分刺激的だし、全然退屈せずに時間を忘れて過ごせる。
友達はもちろんいるけど、私が一緒に出かけたりする友達は限られていて、
そのほとんどが1対1の付き合いで、大人数でワイワイということはめったにない。
人が「社交性はあった方がいい」と言うとき、
社交性にメリットがあるから言っているのだと思うので、
そのメリットについてちょっと考えてみた。
<メリットその1>
「他人からいろんな刺激を受けて自分を成長させることができる」
<メリットその2>
「世の中にいろんな考え方を持った人がいることが分かる」
<メリットその3>
「1人では得られなかったチャンスを得られるかもしれない」
(ソフトヒッキーの私には、これくらいしか思いつかないので、
他にあったら教えてください)
<メリットその1>に関しては、
刺激に対する感受性の個人差によるのではないかと思う。
毎週末どこかの集まりに参加しないと刺激を受けられない人もいれば、
仕事場で接する人とか数人の友達に会って話を聞ければ十分いろんなものを吸収して、
さらに、その他の自由な時間で自分の中に取り込むという域まで
達することができる人もいると思う。
例えば、私は海外のあちこちに行っていろんなモノや人を
見ているつもりだけど、海外に行ったことがなくても、
私なんかよりもずっと世界のことが見えている人はわんさかいる。
つまり、どれだけ見たかではなくて、
どこをどのように見て、どう自分の中に取り込んだかが重要だと思うのだ。
<メリットその2>も<その1>と同じタイプのものだと思う。
私の場合、今までの人生で出会った人、
親戚関係、学校関係、仕事関係、旅行関係、友達関係、ネット関係、
その他にも、読んだ本とか調べたものとか、
数の上では決して多くはないけど、
世の中は十分多様で、同じ人やモノなんて1つもないってことは、よくわかる。
<メリットその3>も言いたいことはよくわかる。
チャンスというものは他人から与えられることが多い。
確かに顔が広ければ、何かといい話は入ってくるのだと思うけど、
1人ではなし得ない何かを目指すようになって初めて、
社交性を持つようになっても遅くないように思う。
それに、「1人では得られなかったチャンスを得られるかもしれない」
というのは、あくまでも「チャンスが欲しい」という見地に立った考えであって、
誰もがチャンスが欲しいと思っているわけではない。
昔、広告代理店でバイトをしていたとき、
そこのワンマン社長が小馬鹿にしたような口調でよく言っていた。
「サラリーマンが生きてる世界は狭い」と。
でも、それは顔が広くないと生き残れない広告代理店の社長としての意見であって、
広いと思うか狭いと思うかは価値観の差によって変化するもので、
「絶対的に」広いとか狭いというのはないと思う。
1サラリーマンとして幸せに生きていれば、それでいいではないか。
もう1つ思うのは、
人には社交性がある時期とそうでもない時期があるということ。
学校だのサークルだのコンパだのバイトだの旅行だの友達との交友だのを
思いっきり満喫する時期もあれば、
充分時間をかけて自分と向き合う時期もある。
そんなふうに考えていくと、
「社交性は必要か否か」という問いには、
「個人の感受性による」
「時期による」
「目指すところによる」
というような曖昧な答えが導き出される。
これは、どんなことにも言えることで、
「こうあるべき」というようなことを人に言うことは、
決してできないのだなぁと思う。
その人の立場に立つことなんて不可能なんだから。
もちろん、その人によって被害を被っているときは話は別なんだけど。
人生の美学は人それぞれ。
いろんな人がいていいと思う。
つづく。
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