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さだまさしの曲の中に 「検察側の証人」という歌がある。 別れた恋人同士の、それぞれの友人の立場からの 言い分で成り立っている歌詞。
「一生懸命愛したあいつを裏切ったあの女は許せない。」
「確かに心変わりが原因ではあるけれど、 血を吐くほどに泣いて謝っていた彼女も傷ついているのよ。」
と大まかにはそのような内容。
同じ出来事でも立場が違えば、捉え方が大きく違う。 歌詞の内容とはまったく違うけれど、私も感じたことがある。
元夫と離婚した後、もう随分と経ってから元姑と話した時のこと。 離婚の原因は元夫のギャンブルと借金で、何度も家族を放りだして逃げた。 後始末はいつも両親で、自分でなんとかしたことなどただの一度も無かった。
当然私の親・姉妹は元夫のことを悪く言う。 娘を出産する時の費用さえ持って逃げたのだから、当然と云えば当然。 離婚の話し合いに立ち会ってくれた義兄は、元舅姑を目の前に ボロクソに元夫をけなした。 (本人は逃亡中で出席さえしていない)
その時の話しになった時、元姑がほろりと言った。
こんなことを言えた義理じゃないけれど、 東風ちゃんがもっとしっかりしていてくれたら こんなことには成らなかったんじゃないかと思う時もあるの。 息子の出来の悪さは充分わかってる。 でも、でも、もっと東風ちゃんが・・・ 例えば居心地のよい家庭を作ってくれていたら、 息子もフラフラ出歩かずに済んだんじゃないかと・・・
その言葉を聞いた時、この「検察側の証人」の曲を思い浮かべた。 言葉の内容の善し悪しは別として、 その立場からしたら当然かもしれない。 決して良い妻でなかった。と云うより、良い夫婦ではなかった。
お互いを押さえつけ合うことに必死で、 二人で協力するとか、一緒に頑張ろうとかそんな気持ちにはなれなかった。 だから元姑が言った言葉にも一理ある。 当然、そのことについては反省している。
一つの出来事も立場が変われば 感じ方や捉え方が違う。
だから本当は正解なんて無い。 あるとすれば、その人にとっての正解だと思う。 そしてそのことをちゃんと解っていなければ、 生きていくってすごく難しいことなんだろうなぁ。
と云うわけで、 しばらくさだまさしの曲名から連想する内容で 「黄昏迄」を書いていきたいと思ってます。 ずっと聴いていなかったのだけど、 最近は編み物の時のBGMになっていて 懐かしいアルバムを引っ張り出しております。
検察側の証人 アルバム 印象派 (1980) より
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