たそがれまで
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2003年06月17日(火) 友のこと 5




逢いに行っていいかとの問いに
彼女は答えは「まだ誰にも会えない」だった。
いつ逢えるのかと私も食い下がった。
「明日もしれないし、1年後かもしれない」
その返事に納得するしかなかった。

彼女と私が再会したのは、手紙が届いて3ヶ月が過ぎてから。
もともと小柄だった彼女は、一廻りも二廻りも小さくなっていた。
抱きしめると折れそうなほど。
「涙の跡がとれないのよ」と彼女は小さく笑った。
ほんの小さな笑みだったけど、ほんの少しだけ心の中で
何かが前進したんだろう。


それからの私達は、文通をした。
口に出したら少し気恥ずかしい言葉でも、文字だと素直に書ける。
それは彼女も同じだったようで、手紙のやり取りはしばらく続いた。

その「しばらく」の中で、彼女からの手紙の消印があちこちと変わった。
ふらりと出た旅行先からや、お兄さんの家、まるで実家にいたくないと
言わんばかりにあちこちに出かけていたようだ。
それで気が紛れるなら、それで何かを見つけられるなら
彼女の突発的な行動に苦笑いしながらも、宛先の住所を確認しながら返事を書いた。
ただ一つ、いつまでも変わらなかったのは彼女の苗字。
別居状態が続いていたのだが、彼女はあくまでもご主人の姓に拘った。

私達はまだ家族なんだ。
それが彼女の口癖で、それがとても悲しかった。




  私ね、変な話しだけど、小さな頃から死にたくて。というか、
  生きてるのが面倒で仕方なかったんだ。小学生の頃からね、
  遠足の前の晩とかね、とても楽しみなんだよ。それなのに
  もし神様が明日遠足に行くのと、今、死ぬのとどちらかを選べって言ったら
  死ぬ方を選ぶだろうなぁ・・・って。
  考えてたんだよ。小さな頭で。

  それは大人になっても変わらなくて
  ずっとこれと死とどっちがいいか?って自分で考えると死を選ぶんだよね。
  死といっても自殺ではないよ。自然死。神様がもたらしてくれる死。
  私は生きる意志が弱いんだろうね。
  長生きなんかしたくないと思っている。
  でもどこかで死にたくない!って思うほどの幸せになってみたいなぁ。とも思う。

  でもね、この頃違うんだよ。子供が死んでからね。
  そりゃもうその後は自殺することばかり考えてたよ。
  だけど死ぬという行動を起こすことも煩わしくて、家で寝てばかりいた。
  でもいつの頃からか変わってきた。死んでも一緒だって。
  死んでもこの悲しみも苦しみも何も変わらない。周りの人に余計な悲しみを
  与えるだけなんだよね。

  自然な死が訪れるまでは、人は生きなきゃいけないんだ。
  これは義務なんだなぁって感じるようになったよ。
  どんな人生でもいいから、とにかく生きなきゃいけないんだ。
  そう考えられたのは、子供のおかげだと思う。
  できれば幸せに生きたいけどねぇ・・・

  夫はね、知らぬ間に退院してた。知らぬ間というのがすごいでしょ。
  会いに行かなきゃと思うけど、それだけのエネルギーがない。こわいよー。
  今まで主人に出した手紙、届いてるのかなぁ。不安だなぁ。
  届いてるとしても、返事が無いから不安だ。

  東風もお母さんのこととか子供のこととか、大変だと思うけど
  頑張ってね。頑張ってね。東風が大変な時に力になれなくて本当にごめんね。



彼女からの手紙の最後は、いつも私を励ます言葉だった。
自分が一番つらいのに、私のことを気遣ってくれていた。
その優しさ故に、自分が一番辛い目に遭ってしまうんじゃないか。
もっとわがままに、もっと自分本位に、人生を生きても良かったんだよ。








珍しく水彩画で描かれたイラスト
彼女はよくゾウの絵を描いていた。
遺品として残っていた絵本もゾウが主人公だった。






東風 |MAILHomePage

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