APSの日記
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2005年10月10日(月) 続きだよ

さてさてご無沙汰しております。
早速ですが続きです。
ドラゴンボールタイプとドラえもんタイプでしたね。
未来の人が過去に干渉することによって未来は変わってしまうが、干渉した未来の人にとっての未来(つまりはその人にとっての現在)は何も変わらない。これがドラゴンボールタイプです。
トランクスは過去に来て人造人間を倒そうとがんばるけど、倒したところで未来に戻ると、やっぱり人造人間はいるわけです。
過去というのがまったく別の世界として捉えられていますね。
ある意味すばらしいです。これだとパラドックスなんて生まれようがない。
しかし難点はあります。作中でもありましたけども、過去に行く意味が薄いんです。単に過去の世界が見たいとか、偶然過去に行ってしまったというんならともかく、それ以外の理由で過去に行って干渉したとしてもあんまり意味が無いんです。そのためか、こういう概念で作品を書く人はあんまりいないですね。
次にドラえもんタイプですが、タイムスリップの概念としては一般的といえるのではないでしょうか。
過去に行っていろいろとやらかすんですけども、結局はそれがないと、現在が成立しない。タイムスリップすることが歴史の一部として組み込まれている、といったところでしょうか。
のび太の父がバレンタインの思い出話を語ったため、のび太とドラえもんはタイムマシンに乗ってその女の子を見に行きます。ところが実はその女の子とはのび太のことだった。という話があります。
のび太が過去に行くことが前提の歴史になっているといわざるを得ません。
「ターミネーター」とか「フィラデルフィア・エクスペリメント」なんかもこんな感じでしたね。
ある意味都合のいい概念ですが、まったく危険性が無いかというと、そうでもないことと、少しややこしいというのが難点ですね。
人気漫画家がスランプになって、ドラえもんの力を借りて未来に発行された自分の作品を見ながら作品を書く、という話がありました。オチとしてはその漫画家が倒れてしまい、ドラえもんが未来から持ってきた作品を写しながら原稿を作り一言「この漫画の作者は誰なんだろうと」とつぶやきます。まさにややこしさの極みですね。
ドラえもんが原稿を写しているから、未来で漫画は発行されますが、その中身は未来で発行された漫画を見ながら書いたものだから・・・いったいこの作品は誰が書いたものというべきなんでしょうか。実にややこしい。
さてさて、タイムスリップの概念について2通り書きましたが、ここでふと思ってしまいました。
未来は変えられるのでしょうか?
「未来には無限の可能性がある」果たして本当にそうなんでしょうか?
つづく(おそらく)


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