レプリカントな日々。

2002年10月06日(日) 「戦争を演じた神々たち」大原まり子著 2000年早川書房


 ありとあらゆる撮影が全てキャンセルになってしまい、すこーし脱力中です。いやー、長い間生きていると色んなことがありますね。
 ちょっと神がかり的な白紙状態です。
 what's going on ?

 四つ年上の大原まり子さん・・・学生時代は心底憧れてました。
 作品にではなく、御本人に。
 いやはや・・・若いって恐ろしい。
 そうそう、ゆうべは22才を中心とする若者10人のグループと、朝まで遊んでしまいました。男の子も女の子も、実に可愛らしいというか元気一杯というか。朝帰りなんてものすごく久しぶりなオヤジは、少し寝て仕事に行ったんですが、やはり目の下に隈が。
 なんてこったい。

 さて、作品ですが。
 「破壊する創造者、堕落した王妃、不死の恐竜伯爵、男から女への進化、完全なる神話学的生態系、等々。生命をめぐるグロテスクで寓意に満ちたイメージが、幻視者、大原まり子のゴージャスかつシンプルな文体で、見えざる逆境と循環の物語として紡ぎ上げられた。現代SF史上もっとも美しくもっとも禍々しい創造と破壊の神話群。筆者自ら再編成しておくる、華麗で残酷な幻惑の輪舞」背表紙より。

 んまぁ、この背表紙のお言葉が見事に作品を言い表していますね。
 海外SFにしか見られないようなスケールの大きな思弁的フィクションとしては、遂にまり子先生ったらここまで来ちゃったか、という感じです。
 戦争は人類が持つ最も基本的な機能であり、寝ることや食べることと変わらないという感覚は、その手の話を表立ってしちゃうと非難轟々なんでしょうけど、こうしたワイドスクリーン・バロック(<正直、私もよく意味がわからない言葉だったりしますが)といった表現形式で提示されると、それを美しいとさえ感じてしまうのは不思議です。
 私が影響されやすいだけ?

 「犬を連れた女」が11の物語のそこここに登場するんですが、これがまたかっこいい!!というかしびれちゃうというか。
 なるほどこういう手法もあったのかい、と眼を離せないシーンです。
 この作品を読む機会がありましたら、しっかり注目です。
 テストに出ます。

 小説は「言葉」で綴られます。
 でもその「シーン」を映画のように目の前に「見る」ことが出来る小説はそれほど多くはありません。
 基本的に海外SF等のエンターテイメント性に優れた作品には、こうした読み手の想像力をかきたててくれる作品が少なくありません。
 日本の作品で残念なのは、そうしたことが「安っぽさ」として捉えられがちだということです。
 つまり、行間を読めというやつですね。
 この作品は、その両方を満足させてくれる希有なものだと私は思います。

 精神世界好きなあなた、必読です。







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