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未練に餞(はなむけ) 改正版
改正しました
結局餞の言葉は贈りませんでした というか、その時は書かなかったこと言わなかったことを 今なら言っても良いだろうと思って書いてみます
人の精神とは 年を重ねても未熟で 成長過程で言うなれば 思春期・青年期が随分長いものなんだと思います そして やはり 越えなければならない壁に当たるものなのですが この時に、自分自身に深く向き合う人もいれば 投影法で解決しようとする人もいて どちらも無意識かで行われるものなのだと思います
そして 一連の出来事は どうやら 彼ら及び彼らを支持する人々に 自分の問題点を投影し糾弾することで乗り越えようとした為に 起きた騒ぎだったのだなぁと思っていたのです
確かに私も一度「怒り」というものは持ったのですが 落ち着いて考えたところ どうも、感情的になればなるほど 向こうが嬉々とする仕組みに見えて ためしてみたのです 覚えている方もいると思いますが 「どこにも攻撃できる場所がないものが舞い込んだらどうなるのか?」を 文章で実験をしてみたところ
どうやら、向こうにとっては やっかいなものとして扱われていたように思います なぜなら そこには 成長の題材になる箇所は無く それどころか投影する方法を許してくれない仕掛けがあり 結局は避けていた自分自身と向き合わなければならない場を 作られてしまったわけです そこで、すこし 「自分がやっていることは何か?」と 疑問を持ったようなのですが疑問を持つという事が許されない とばかりにまた同じ状態に戻っていました
会って話すことのない存在を 投影の対象として選び(安全のため) そこに少しでも 自分が抱える問題(矛盾)に近いものの匂いがあると 攻撃するという方法 本当なら自分の心の中だけで起きる葛藤を Web上で自分たちが正しいと思い込みながら進めていく 確かにこのやり方は自分が傷つきにくいと思うのです
そして 理論では表しにくい「感情」を 分析して理由付けをするという行動をとりますが 理論武装しておかないと 自分と向き合ったときに自分の越えなければならない面を 目の当たりにしてしまうので それが恐ろしかったのだと思います
どうやら 向こうの成長の為に ずいぶんな面倒ごとに巻き込まれてしまったようです 途中でそのことに漠然と気づいたほとんどの人が これ以上そんなもののために 自分の脳が使われるのは嫌だと離れていきました それはとても冷静な判断でした
そして 乗り越えたいところを自分があまり痛むことなく克服して 満足したらしく 葛藤した自分の心象風景を作り上げた場ごと簡単に消し去ってしまいました このあたりWebという存在は本当に都合のいいものです
私は途中から 「自分たちでもやっていることの本当の意味は分かっていないだろう?」 と感じていて 成長しきっていない精神が「大人である」と自分から言いつつ 自分の葛藤を他人に投影しては 成長していない精神の補足を必死で行っている姿に もしかしたら自分にもその時が来るのかも知れない という 恐怖を伴った切なさを持っていました 人というのはやっかいに出来ているものだなという事への想いです なまじ自分より実年齢が上であるだけに それは本当に悲しい事実だったと思います 年齢を経ても冷静な判断がついてくるわけではないんだと分かったからです
たいていの人の 彼らへの態度というものは 「彼らの思惑は彼らのものであって自分のものでは無い」ので 何も言う必要はなく、受け入れられなければ去ればいい という態度であって
その人達の言う 「甘やかす・許す」 というものは感情論で、実はその人達が その時廻りに求めていた気持ちではなかったのか?と思います
その人達にとって「彼ら」は「自分」であって 「彼らを認めている人」も「自分」で
「自分」を理解しようと必死だっただけなのではないでしょうか? 「自分」が理想と違う方向に行くのが恐ろしく その結果、他人に認められず、愛されることも無くなるのではないか?という恐れ それを自覚してしまう事への恐怖 また、「自分」というものが「何なのか」を知ることも恐ろしかったのではないでしょうか? なんとも、現代的な恐れではないか?と思います そして 誰しもがいつ陥るか分からない落とし穴でもあったのでは?ということも併せて
その時は言葉にならなかった 「?」と「違和感」そして「哀切」 文章を書く場所を持てた今 ちゃんと言葉になりましたが この言葉も誰かの「?」になってしまわないことを 切に願います
そういえば その頃に友人の一人に当てたメールに 「子供すら産んだことがないのに・・・」 という文章を書いた思い出があります 確かに産まなくても育てなくても 多くの人を見、考え、精神的に成熟している人も沢山います けれども、人が精神を大人にする為に必要不可欠なものは やはり 「人を産み育てること」 なのだと思うし 世の中で言われ続けていることだと思うのです
私にもいつか来るだろう壁 自分が何か、どうありたいか・・・ 自分の中で考え、そして信頼した人を頼って 静かに越えていきたいな そう思いました
2002年12月19日(木)
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