七竃雑記帳
桂木 炯



 道頓堀の夜は更けて

さて、今日は
私的見解はお休みで
ちゃんと日記を書きましょうと


行ってきました


大阪松竹座
四代目尾上松緑襲名披露
七月大歌舞伎
夜の部


一体何事だアンタ(笑)


とか思われているかもしれないが
私には絶対に行っておきたい公演だったので
なぜなら


辰之助改め
四代目 尾上松緑さんといえば


藤間流観右衛門派
家元 六世 藤間観右衛門さん


でもあるということで、私のお師匠さんも観右衛門派
そら宗家の襲名披露を見に行かずにどうしましょう?
いや、まぁ名前を頂いてるわけではないので
行かずともいいといえば良いが


見に行きたいじゃない!!良い芸を!



幼い頃に父初代尾上辰之助(三世尾上松緑を没後に追贈される)
祖父二代目尾上松緑を相次いで亡くされ
その後、二代目尾上辰之助・六世家元と
全て異例の若さで襲名
今回の四代目尾上松緑の襲名も
松竹社長・各宗家の後押し等を受け
異例の若さでの襲名となる・・・
実際ここまでの道のりはもっと細かいけれども
その当りは長くなってしまうので・・・

とにかく、並々ならない努力の末の異例の襲名であるということですね


昼の部:
歌舞伎十八番の内 矢の根
鳥辺山心中
吉原雀
倭仮名在原系図 蘭平物狂

夜の部:
堀川波の鼓
四代目尾上松緑襲名披露 口上
義経千本桜 吉野山
眠駱駝物語 らくだ


なんで夜の部かといえば
そら


口上


聞いておきたいでしょう
昼の倭仮名在原系図 蘭平物狂も
実は関西では初めて公演される題目
立ち回りなど素晴らしいということだが夜の部・・・
昼夜見れば良いという話かもしれないが
一公演「16,000円 」すこしツライ・・・(貧乏人)
でもあの芸を見るのであれば高くはない値段


しかし前から4列目ってのはキビシイね
その上真横が花道(客席の真後ろから舞台まである客席の間を走る通路)



歌舞伎というのは
基本的にミュージカルなのだが
決定的な違いは
「決まり事」が多く存在する特殊な空間
しかし、それが若い世代が離れてしまう原因の一つにも
考えられているらしく
松竹座では、解説を演目の進みに合わせて流すイヤホンのサービスをしていた
が、普段から読むものに時代物が多いせいか
全て問題なく理解できる自分は必要なしだった(それもどうなんだ?)
振り向けば・・・熟年層より上の方しかいませんでした
若すぎるのか私・・・?


良く言えば
「大人の文化」なのかもしれない


1番目の演目
「堀川波の鼓」
では、夫の参勤交代で留守を余儀なくされた妻の寂しさから
悲劇が起るというものだが、江戸詰や江戸期の風俗観念を
基本的に知っていなければ、分かりがたい話かもしれない
現代の男女に有りえない結婚観や家・勤めの仕組みの上に
人間の弱さやもろさ、愛を貫くひたむきさが描かれている
しかし、話の筋を知らなくても
演技によって、悲痛な悲しみや、怒りの感情などは
独特の声色や細かな仕草によって十分に分かるようになっている
長丁場の話でも長さを感じさせない
起伏に富んだ作りになっていた、そのあたりが
芸というものの素晴らしさだと思った


口上は
「すみからすみまでずずずぃーっと・・・」
というあれです(笑)
でもこれね出演者全員(13人)が一斉に
お客様に手をついて頭をたれて、祝いの言葉なぞを
ひとりひとり言っていくのですから凄いものです
値打ちものです、特に襲名披露の口上ですから
背筋が伸びますよ、笑える話も多いですけど



歌舞伎は
未だに殆どの作業は人間がこなしている
音を鳴らすのも、唄うのも
舞台を組むのも幕を開けるのも
その全てが人間それもすばらしい技術の集合体
女性がいないのは当たり前
体力勝負です、あの長丁場を
演じる、それも性別も年も全く違う人物や時に妖怪なんてものまで



客席にいるその殆どが
少なくとも歌舞伎はどんなものか
そのうちの何人かは先代はどのように
演じていたか知っているわけです
そして、舞台上も相手役は大先輩であり
後ろにいる鳴り物や唄いの方も
舞台を作る人ですら知っていて見る目は厳しく
批評できる目・・・この中で演じるというのは
どれほどか、そしてそれを納得させる舞台を
毎日こなすわけです・・・



義経千本桜 吉野山
は、昼に公演される
倭仮名在原系図 蘭平物狂が
歌舞伎らしく、大立ち回りで行われるものなのに対し
「舞踊」の色が濃く
これは「祖父の通りしたい」というふうに本人がおっしゃっている
中村雀右衛門が静御前
片岡仁左衛門が早見大夫
佐藤忠信を松緑が演じる大舞台
義経の愛妾の静御前が佐藤忠信を供にして
義経の隠れている吉野山に向かう道中を綴ったもの
しかし忠信は人ではなく静御前の持つ初音の鼓の皮に張られた
狐の子が親を慕う余り人に化けている
実は五段目の四段目にあたっているが
所々に狐の本性が見える踊りがある



もちろん、スッポン(花道にあり人が下からせり上がって出てくる所)
から出てきて舞う手踊りは素晴らしいものだった
実は何度か、舞踊としては見たことがあり
一番古い記憶としては六世藤間観右衛門を襲名したての頃に
素踊り(化粧もせず袴などで踊ること)で踊っていたもの
それこそ、正直不安に思ったのも覚えている
踊りを踊りすぎて妙なクセばかりが目立っていた
しかし、そこには、見るものの目を一度も反らさせないほどの
迫力で演じられる忠信の姿があった
本当に素晴らしいもので、先代の踊りの粋は残念ながら
存じ上げないが、同じ粋で演じられていたことだと思う



伝統芸能というものは
血が残っているというワケでも何でもなく
多分素晴らしい演目が
歴史を股にかけてロングランで演じられているだけの
ものではないかと思った
その当たり役を質を落とさず
演じるためにはやはり、同じ粋が体に染みついた
同族の人間がいいというだけの事ではないだろうか?
新しく生まれた演目も、それを見たいという客の声に応える形で
後に「伝統芸能」と呼ばれるものになっていくだけではないのか?と
初演よりゆうに200年以上を経てなおも
支持されている演目の数々にそこに息づいた
人の芸にかける心意気に感動せずにはいられないのだった



文化を楽しむ為には
なんの知識もいらないが
文化に浸るためには少しの知識があったほうがいい
特に齢80を越えた男性が
娘役を演じきり、30にも満たない男性が妖怪を演じ
そして間違いなくそう見える
それこそ、夢を全身で具現化するような
人並外れた芸を目の当たりしに行くのなら
それに失礼のないような心持ちで行くほうがいいのではないだろうか?


携帯の音もいっさいしない
話し声もない
夢の世界では客も重要な舞台装置であると痛感できる
休憩を挟んでも5時間
姿勢を正し時にくだけて大笑いもする
文化として成熟した娯楽
たまの贅沢はこんなところにお金をかけたいものです




「決まり事」に
キメの所で、屋号を呼ぶというものがある「○○屋!」ってやつ
もちろん男女の踊りであった場合
「御両人!」というものもある
これ、下手なトコでやると失笑をかうのよ
客にもだけど、演じてる人にもね・・・
ちゃんとこの踊りはここがキメって知らないと出来ないのよ


いつも思うんだけれども、ライブでメンバーさん呼ぶのって
これから発生してるよね?
最近皆タイミング悪かったりするよね・・・ま、失笑はかわないけど
江戸からやることって変わってないのかなぁ
ま、今も昔も女の人は舞台で歌舞いてる男子が好きってことだね
あれ?違う??

だからね、ライブ中にタバコ吸ったり、お酒飲んだりてのが
実は不思議でしょうがない(幕間なら構わないけど)
普通の人と「舞台」の認識がずれてるんだろうね私

そうそう、私ライブで声かけるの異常に上手いよ(笑)


今日のR嬢;
会ってないからお休み
あ、彼女は私が声かけするたびに
寿命縮まるらしいです

ごめんね突拍子もなくでかい声出して


2002年07月07日(日)
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