2002年10月22日(火) >> 『読めば宮古!』
「あららがまパラダイス読本」と銘打ったボーダーインク社出版の地域本、『読めば宮古!』。
つい先ほど県外出身の知人に薦められたのデスが
既に発刊当時、島出身のM嬢に紹介して貰っていたのデスよ。
くれるモンなら貰っときマスけどね。(殴。)
そんな
島育ち感のある節操ナシめぐりん。
実は島の離島出身の両親を持ちながらも
母が大学生時代のフライングベイビーだった為に、他県で生まれて暮らしておりマシた。
後に
島でのまったり生活に身を投じる事にはなったのだけれど
“三つ子の魂百までも”とはよく云ったモンで
元々島で育って上京していた両親とは違って
自分が生まれて育っていた環境での生活習慣は根深く残っていたし
表現も反応もコドモながらな価値観でさえも、周囲から浮かずにはいられなかった。
おマケに
他の孫達には方言バリバリで喋りながらも
当時、生活を移してきたバカリなめぐ達兄弟には
慣れない標準語を駆使して説明してくれていたじーちゃんばーちゃんカラ
(めぐが)初孫だとゆ〜事も手伝った甘やかしを受けていたりスルと
日常の中には、然程馴染んで行けなかったりもしたのデスよ。
なので
じーちゃん家トカでちゃんぷる〜みたいな大皿に料理を出されたりスルと
「カワイくナイお食事〜。」
などとボヤいて食事を拒否しては
母が小皿に取り分けてくれると喜び勇んで食べるとゆ〜
トテモばーちゃん泣かせな行為に及んだり
毎週末に船で通ってたじーちゃん家のヤギの子供がいないのに落胆しては
食事として出されたヤギ汁に更なるショックを受けて
更に
ニガテな春菊の臭さも混じったソレは、あんなに可愛らしかった子ヤギが
明らかに美味しいとは思えないモノに姿を変えてしまっていたので
「こんな事するみんななんて大キライ!!」
なんて
ヒトツも解せないまんまでみんなが食事し終わった後に残った子ヤギの骨をかき集めては
弟とフタリで近所の公園に出かけて泣きながら埋葬してみたり
飛散系連発花火でがじゅまるの樹に引火させては逃亡かましてみたり
変態オジイをパンチラで誘い出しては集団でボコってみたり
母が旅行中、夜中に姉弟フタリしてナンか見てしまったカラと云って
2kg近くもの塩をベランダに撒き散らしては、帰宅後の母に爆笑されながら説教されるとゆ〜
どっか寸足らずなコドモが出来上がってしまった訳なのデスよ。(←無関係。)
ヒトツの救いとしては、めぐが方言ズキなコに育ってしまっていた事。カナ?
ソレは今でもそうなんだケド
とにかくめぐはいろんなトコの方言がものスっっゴく大スキで
下手なギャグを聞かされるよか方言で話してくれた方が、いろんなツボに入るのデスよ。
なので
あちこちの方言の単語ダケをイントネーションを無視しながら覚えてまっては
あれこれ使ってみてたりしてるのデス。
って。
まぁ
ソレわさておき。(おくんかい。)
そんな訳で
既述本につきマシては、薦められていた「わかるわかる!」ってな爆笑ヨリも
「へ〜。そうだったんだぁ。」ってな物事を認知していく感覚の方が強かったので
10年も在島していたワリには
未だ市内の商店街や池間島へのルートしか知らない上に
近年の商店街や地域ルートの激変にすらついて行けないめぐにとっては
ものスゴぉ〜くタメになって頂きマシた。
2/3は知らなかったしね。−▽−)/
ただ
そのムカシ
ひょんな事から軍用ダイナマイトが爆発した事件をきっかけに
素人お手製ダイナマイトが大流行した佐良浜では各所で爆発事件が起こりまくって
当時のヒット曲(死語。)『ブルーライトヨコハマ』に合わせた
『ダイナマイト佐良浜』ってな替え歌が大流行していただトカ
市内の某県立学校校長先生が夜通し呑み屋街で酔いびたっては
夜な夜な
「昼は校長!夜は絶好調〜!!」
などと騒いでいただトカ
全般的にあっけらかんとした人柄な西辺の一部では
お神酒を発酵させて作るのがトテモ面倒らしく
お米をミキサーにかけたダケの玄米ドリンクにサイダーを混ぜて作っているだとか
ましてや
家では猫としか生活した事のなかっためぐが台風の日に拾ってきた白い犬を
モノの1ヶ月もしない内に隣人のオジイに食べられてしまった為に
そのトラウマで犬が飼えなくなってしまっただトカ
何故か地域方言を使わない相手に対して
「お前なまってる〜!」といいがちな連中に
「オマエのが限りなくなまってるの!^皿^」と教えたくてタマラナイだトカ
(当時めぐもハガキ投稿していた)『ぱふ』という雑誌に
“本で出来た本屋さん”と表現されていた麻姑山書房にバリケードが設置されていたのは
ウチの弟が雪崩を起こしまくって立ち入り禁止にされた所為だトカゆ〜
トップシークレットは既述されていませんでしたケドね。(当然。)
◇◆◇ めぐ。 |