三楽の仕事日記
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2012年08月12日(日) |
20年を経ての大感激 |
早朝から校正作業。昨日の「佐藤正寿先生から学ぶ会」を思い出しながら、時に興奮しての作業。いい会だった。余韻に浸る。
午後から名古屋へ。中学卒業から20年経って開かれた教え子の同窓会に出席。教師冥利に尽きる出来事があった。こんな嬉しいことはないので書いておきたい。
「先生、迷惑かけてすみませんでした」と、ある男性が僕のところへやってきた。 「みんなにも謝ってこいって、言われて…」と、はみ噛みながらの登場だった。 忘れるはずはない。その当時は、いわゆるヤンチャ坊主だった。 予想もしない言葉に、何という言葉を返したかは覚えていない。
しばらくして、再び、僕のところへ。 「先生の数学、大好きでした」から始まった、一生涯忘れることができない言葉の数々。
3年間も先生に受け持ってもらって、数学が好きにならないなんて、ありえません。 20年経って、今、先生が教えてくれた数学が役立っています。 僕は鳶をやっているんだけど、数学の授業が仕事に役立っています。 先生は、数学は答えは一つだけど、そこに行き着くまでの道はいろいろある、これを考えることが面白いと言って、みんなで考える楽しい授業をしてくれました。 仕事の段取りを考える時に、いつも数学授業や先生のことを思い出すのです。最後は一緒だけど、そこに行くための方法はいろいろあるはずだと。 仕事をやっていく中で、材料、予算、人数など、いろいろなことを考えなくてはいけなくて、まず安全に、無駄のないように、お金がかからないようになど、いろいろな事と、いろいろな道筋を考えて、結論を出しています。このことは先生が数学の授業で教えてくれたことです。 20年も経って、ようやくこんなことを言っていて、すみません。よく分かりました。 先生、熱血でしたよねえ。今もそうですか。
など、全てを録音しておきたいほどの言葉を20年ぶりに会った教え子からいただいた。 その当時は、僕は今の彼らと同じ35歳。 数学教育にのめり込んでいた時代の教え子たち。
2本のスチール本棚の上から下まで、購入した算数・数学教育書がズラリ。 今、手に入る算数・数学教育書はすべてここにあると言ってもいいな、とつぶやきながら、その本棚の前に座って、背表紙を眺め続けていたこともあった時代。 教材研究のために朝まで一睡もせず、ということもあった。 数学発見型ソフトウェアの発想が浮かび、開発を続けたのもこの時代。 数学授業について仲間と激論している最中に、 あまりの激しさから、喧嘩をしているのではないかと心配させたこともあった。 「数学の授業を感動の連続に」という書籍に掲載した実践を数々生んだ時代。
感謝したいのは僕の方だ。数学はこんなに面白い、と教えてくれたのは実は彼らの方。 こちらが考えもしないアイデアを出して、仲間でやりやっている。 時には僕に戦ってくる。 今でもいくつかの数学授業シーンを思い出す。
有難いことに、何人かの教え子から、先生の数学授業が好きでした、という言葉をもらった。 そういえば、むきになって自分の考えを言ってきたこともあったよね、という僕の言葉から あの時は、「AとBの間に・・・」とそのことを仲間に説明しだす教え子もいて(笑)、 数学教師として、こんな幸せな場面を作ってくれた教え子に感謝してもしきれない。 二次会も出席を、と誘われたが、長く一緒にいると、よくない他の話(笑)も出てくるだろうと思い辞退。 今日も余韻にしたりながら帰宅。
その時代の僕の授業記録をアップしている。 縁あって、そのころ東京大学におられた藤岡信勝先生が参観され、授業づくりネットワークに僕の授業をストップモーション形式で記録していただいたものだ。 後日、藤岡先生はこの原稿で「玉置氏の授業との出会いは私にとって一つの事件であった」と書いていただいた。 久々に読み直した。 昨日の佐藤先生の言葉、自分も走りながらバトンを渡したい!この言葉を再び意識した1日となった。
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