三楽の仕事日記
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2005年10月07日(金) |
附属名古屋中研究発表会で |
今日は愛知教育大学附属名古屋中学校教育研究発表会。自分が勤めていたときには、まだ開通していなかった名鉄→地下鉄を利用して学校へ。
9:00伝統の合唱を聴く。そして研究概要のプレゼン。自分は12年前にあの場でプレゼンをしたのだと懐かしさいっぱい。スライドからプロジェクタ発表に変えた年でもあった。そして講演者は秋山仁さん。そのときの講演「授業を感動の連続に」は今も忘れられない。
1時間目、3年数学「三平方の定理」の授業。授業者は大津先生。大津さんは僕が勤務していた時の教育実習生。時が経つのは本当に早い。2時間目、2年数学「図形の調べ方」の授業。授業者は丹羽先生。いずれの授業も教科理論にのっとり、単に問題解決をするだけでなく、数学的な見方や考え方を認識し味わう場面が設定され、研究最終年度としての授業を見せてくれた。
OBの厚かましさもあって、教官室に入れてもらって懇談。食事。授業で気づいた点を現役にも伝え、研究協議へ。
研究協議ではOBは黙っていようと思っていたが、東海市の近藤先生の意見を聞き、刺激を受ける。どう教科として応えるか注目したが、正直なところ教科の答弁から、より質の高い授業を目指して、子どもとともに授業を創り上げていこうという気力が伝わってこない。急に気持ちは落ち着かなくなってしまった。
司会者が意見を求めた場面でだれも挙手をしなかったので、場つなぎと思い、悶々としたまま手を挙げる。これがいけなかった。「授業者は今日の授業で満足しているのか」と自分でも思いもかけない質問をしてしまった。頭の中で整理してから発言すべきだったと反省しても、もう遅い。 「今日のこの授業のためにどれほど子どもを鍛えてきたのか。ここの子どもであるなら、もっともっと高いレベルを目指したらどうか。今日の授業は良い子チャンの授業。もっとダイナミックさがほしい」と、自分でもできもしない授業を要求。OBとは思えない発言。猛反省。
飯島先生が助言の中で、11月22日、12月23日のGC関連事業のPR。「さきほどの玉置先生も授業をやられます。満足がいく授業を見せてもらえます」という一言を聞いて、発言したことを再び後悔。
教官室に戻っても、ひとしきり、光ヶ丘中の取り組みを話す。さぞかし現役には迷惑だったことだろう。
飯島先生と場所を移して主に11月の授業について相談。授業設計の基本的な流れは決めているのだけど、課題が浮かばない。当分は悩むしかない。もっとも同じ課題で授業をする石川さんとの相談も必要で、自分だけで決められない。附属時代は研究発表会での授業課題を決めるためにどれほど悩み考え続けたことか。「これは附属だから出来る課題だ」と片付けられるのが悔しくて、一見ありふれた課題、あるいは教科書の課題だけど、教材研究をしっかりして普段から子どもを鍛えていると、こんなにも授業での追究は深まるのだ!そんな授業を見てもらいたい!と考え続けた日々が懐かしい。喫茶店でふっとアイデアが浮かんで、忘れてはならないと思って、テーブルに置いてあった薄紙に必死にメモしたことも思い出す。「当たるのはどこ?」は喫茶店で浮かんだネタ。それが「@発見島」で再登場とのこと。うれしい限り。
学校へ電話連絡。1日を確認。帰宅。ネットで新幹線予約。原稿チェック。
2004年10月07日(木) 研修会で講演 2003年10月07日(火) 生徒と1時間
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