三楽の仕事日記
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2004年10月31日(日) 光祭(文化部門)2日目&地域ふれあいフェス

 雨が気になり、夜中、何度も目がさめて外を見る。天気のことだから見たところで変わりはしないだろうけど。気持ちが通じてか、心配した早朝の雨もなく、よし!という気持ちに。朝から準備に来ていただけたPTAさん、職員で交わす言葉は「晴れて良かったねえ」。何度繰り返したことか。

 新調した黄色いスタジャンを羽織って、正門付近の車の整理やテント張りなど、一気に忙しくなる。テント12張り、様々な模擬店、バザー、ソフトボール大会の準備・・・、書ききれないほどの準備開始。同時に、各教室では体験講座開始。地域から様々な方に来ていただいてのいわゆる文化講座。講師の皆さんには、「今回の講座が、子どもたちの学びを広げるきっかけとなるかもしれません。私たちは「学び続ける生徒の育成」を目標の一つに掲げて取り組んでいますが、目標具現化の一つとして、この体験講座は貴重な時間です」と話し、お願いをした。

 今日の自分の担当は「光寄席」運営と出演。大学の先輩、落語の愛狂亭駄楽(豊川市の校長)、大道芸のもんもん(後輩、名古屋市教員)、プロをめざす物まね、かい大和(教え子、ホテルマン)も来校。第1回目の開始11時30分には教室はほぼ満員。久しぶりに駄楽と打ち合わせなしの掛け合い。爆笑の連続。自分は「僕の人生は母親&駄楽の影響」といった小咄を勤める。落語2席と大道芸、ものまねの寄席の彩りはとてもよく、満足の1回目の公演終了。すぐに中庭ライブで「大道芸」「ものまね」援助。休む間もなく、第2回目の公演開始。再びご入場というお客様も多数みえて、今回もほぼ椅子がうまる。あいかわらず駄楽絶好調。校長は地域を離れると随分と気が楽(笑)。2回目は僕がトリ。初めて「親の顔」を演ずる。学校ネタでけっこう受ける。落語の途中で教頭さんの校内放送。それもうまく落語にいかせることができて、爆笑をもらう。最後にはきちんと皆さんに挨拶。「校長は地域の方に人となりをわかってもらうことだと先輩に言われましたので、こういう会を持ちました。私はこういう人間ですので、お気づきの点はなんなりとお教えください。けっして笑って誤魔化すようなことはいたしません。今後とも光ヶ丘中学校をよろしくお願いします」と。

 緊急連絡で約束の時間に気づき、ドミノのスターターとしてすぐに体育館へ。遅れてしまって申し訳ない。本線から支線へ子どもたち&親父の会指導のドミノが次々倒れていく。ものすごいギャラリーに囲まれた5時間ほどのイベントも無事終了。おやじの会の思いはぜひ本校HPで。

 とって返して、寄席出演者にゆっくりお礼、そして見送り。感謝。体育館では吹奏楽演奏開始。実にフレンドリーなあったかい構成のコンサートで、演奏する子どもたちが本当に楽しそうにしている姿を見て、自然とうれしくなってしまう。舞台に上げてもらったが、歌はほとんど分からず、立っているだけ。吹奏楽部の皆さん、ごめんなさい。

 最後は片づけ。寄席担当の子どもはいないので、数人に片づけの依頼して、一気に復旧。それにしても疲れた。

 最後は職員打ち合わせ。ここまでの指導に感謝をし、自分の思いを一気に話す。教育コンサルタントの大西さんからいただいた示唆も思い出す。

 打ち合わせが終わって、ようやくちょっと物を口にできて、ほっとする。「校長先生、HP楽しみに毎日見ていますよ」と何人かの方に言われた光祭。さあ、光祭のHP作成!アップ!と思っても、さすがにしんどい。ソフトボール担当の後藤先生がさっそくその報告をアップ。ありがたい。ではドミノの様子だけでもと、自分も一つアップ。

 活動室で後かたづけをされるPTAの皆さんにお礼の挨拶。帰りには「おやじの会」の皆さんの集まりで、お礼を一言と思って顔を出す。ちょっとのつもりが、これがなかなか。でも貴重な話をたくさん伺え、あらためてこんなに学校のことを考えていただいているのかと感激。光ヶ丘中学校の3年先、5年席のグランドデザインをいよいよ書く時期が来たと決意。それにしても怒濤の1日。晴れて良かった。


2003年10月31日(金) 文化祭2日目