CYMA’S MURMUR

2002年06月28日(金)   20%の私

「ポネット」という映画を見た。
途中の30分ほどだけれど。

前から見たいと思っていたのだけれど、
寝る前にテレビをつけたらBSで放送していたのだ。

幼くして母を失った少女の物語らしいんだけど、
子供だけの独自の世界がよく描かれていた。

すっごく可愛かった。
なんで外国の子供ってあんなに可愛いんだろう?


それはともかく。

彼のことは大分吹っ切れたみたいだ。

もちろん別れのプロセスは今思い出してもむかつくし、
全てを消化できたわけでもない。

それでも、とりあえずもうその過去とは関係なく生活している。

あんなに仲良しで、いい歳した大人二人がラブラブだったのが不思議に思えるほどに。

あれはあれで良かった。
後悔はしていない。

周りが見えなくて、
彼しか見えなくて、
彼も私しか見てなくて、
二人で充足して、

やっぱりそんなのって奇跡だから。
大切にして、そのときの気持ちを信じて進んだこと後悔してない。

でも。今の私はとても冷めている。
恋愛に対する夢もないし、願望もなくなっちゃった。

あの恋情だけで満たされていた日々が嘘のようだ。

あんなに彼に全てを傾けていて、
よく私は社会人としてちゃんと生活できていたものだ・・・

そう考えてようやく気づいた。

当時の私は80%を彼にささげ、
残りの20%で普通の生活を行っていた。

今の私は多分20%での生活を残したまま、
80%は未使用状態なのだ。

だから社会人として仕事する私に、
大きな変化は訪れなかった。

それは私が不真面目だからでも意気消沈しているからでもなく、
これが自然な状態だということだと思う。

100%での生活なんて、なかなかできない。

短期的にはともかく、
長期的に100%のエネルギーを使用し続けることは不可能に近い。

なのに私は彼の80%、いや100%を、
永遠に私に向けてくれと要求していたのかもしれない。

脳に未使用領域があるように、
そして何らかの障害があったときにその未使用領域が
新たに分化しシナプスをのばし新機能を獲得するように、
未使用パワーはバッファとして保持されるべきなのだ。

次に新たなる試練、もしくは興味の対象、
そういうものと遭遇したときに、
私は再びそこに力を注ぎ始めるだろう。

多分、生きるのってそういうことの繰り返し。

でも本当の私は、今ここにいる20%の私なんじゃないかな。






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