うつ病で摂食障害などを抱える看護師。色々あるけど、生きて行くのだ!

2009年06月09日(火) 息子の試練と優しいおばあちゃん

今期、息子はまあまあ学校に行けているほうだ。

それでも、毎日「行きたくない」を連呼し、付き合う私は大変だ。

今日も「行きたくない」と言っていたが、午前11時頃に自転車で出かけた。
その後私が仕事に行く準備をしていたら、電話の着信があり、メールには、

「遭難した!SOS!」

と書いてあった。

すぐに電話をしてみると、タイヤがパンクし、修理したのにまたパンクして
動けなくなっていると言う。

学校は間に合いそうにも無い。迎えに行くにしても、現在地がよくわからないし、私は超方音痴。

主人に電話をして息子の現在地を確認してもらうことにした。

場所さえわかれば私が迎えに行くことは簡単かもしれない。
息子は私に甘えて、迎えに来て欲しいと思ったようだが、父親にはそうではない。
主人も私も息子には自立して欲しいと思っているので、自分の力で何とかするように、主人が助言をした。今いる場所から南に5百メートルぐらい行くと駅があるからそこから電車に乗り、乗り継いでいつも行く自転車屋に行けと指示をした。

それで何とかなるだろうと思い、ホッとして仕事に出かけたのだった。


しかし、夜8時頃家に帰っても、息子はまだ帰って来ていなかった。
メールも電話も出ない。

帰って来たのは9時過ぎだった。

まず、自転車をばらして(むき出しのまま)電車に乗ったと言うことで、改札口の駅員さんに注意され凹み???。その駅から自転車屋まで電車を担いで行き、修理に必要なモノを買った。そこで、駅員に注意されたことを言ったら、ビニール袋をくれたらしい。

家に帰るのにはまた同じ改札を通らなければならず、ビニール袋で包んだ自転車を見せて、
「これでいいですか?」
と聞いたら、通っていいですよと言われたらしい。

そして、うちの最寄駅で降りたが、駅から荷物を持たなくても徒歩15分を、
自転車を持って歩くのはキツイと考えた息子。修理に必要なガムテープを、スーパーの隣りの百均で買った。そこの駐車場の隅の人に迷惑がかからなそうな場所で修理をしていたら、警備員さんにこっぴどく叱られたと言う。


「こんなところで何してるんだっ!」

もう充分凹んでいるのに、理由も何も聞いてくれず、頭ごなしに叱るだけだったと言う。
やっとの思いで「修理しているんです」って言ったら、
「よそでやってくれ!」と。

よそで???と言われても、もう歩く気力が無かった息子は道路で修理をし始めた。

すると、向かいの自転車置き場のおばあちゃんが出て来て、

「どうしたの?」

と声をかけてくれたと言う。

事情を話すと、おばあちゃんは自転車置き場の中で作業をさせてくれた。


人が苦手で、電車が嫌だから自転車で通っているのに、パンクし、駅員さんに注意され、警備員に怒鳴られ???おばあちゃんにその話をしてボロボロ泣いたと言う。

持っていた抗不安剤を水無しで飲んだら、おばあちゃんはペットボトルの水をくれたと言う。


息子の気持ちが痛いほどわかり、わかり過ぎるほどわかって、私まで辛かった。

「今日は泣きなさい」

って、ティッシュを渡したけど、私まで一緒に泣いているわけにはいかない。

「最後に、いい人に出会ってよかったね」


自転車の整備をしたので、手も顔も真っ黒になっていた。
寝たいけど、布団のところまで行く気力が無い、と息子。
ぐったりした様子でリビングで寝ていた。




今まで息子が経験して凹んできたことで、私は誰かに文句を言いに行ったことは無い。私はモンスターペアレンツではない。でも、今日だけは、警備員に文句を言いたい気持ちだった。

注意するのはいい!
でも、なぜ最初に事情を聞かないのか?
常習犯ならまだしも???今回のことはアクシデントなんだから。

「たったそんなことで凹むの?」

と思う人がいるかもしれない。

でも、息子は小学校からの不登校で、中学はほとんど行けず、高校は6年目にしてやっと少しずつ行き始めたのだ。しかも一日1教科。
亀さんのような歩みをし始めたばかりなのだ。

息子にはもっと強くなって欲しいと思っている。

それでも、もっと大人がしっかりしていれば、こういうことにはならないんじゃないか?と疑問に思うことが多い。

怒鳴る前に話し合い。

戦争だって起こるまい。



追記
警備員さんに、
「ここで修理をしていいですか?」
と、聞けるよう子なら不登校にはなっていないだろう。


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