過去の”嗜好回路”
 G氏や海賊や花出やその時の萌えごと
という黒歴史

2002年09月11日(水) 世界が壊れた日

日テレの同時多発テロの番組を見まして、かなり色々考えましたね。
最初にテロを受けたアメリカの視点、その後の誤爆に苦しむ人達の視点。
人の命は平等だというけれど、どっちに重きを置くかによって命の価値が
まるで変わってくる怖さ。
私にはどちらの立場に立って言うことも出来ないもどかしさ。
そう、厳密にはどちらの側にも立ってはいけないんだと思う。


「(家族を失ったアメリカ人男性)誤爆された人に同情はするけれど、
私たちは1日に3000人を殺されたのです、理由も無く」

「(アメリカ軍に息子を誤爆されたカナダ人男性)世界の人々が9月11日に涙を流したけれど、息子はこの日のために死んだのです」

「(アメリカ軍に家と家族を誤爆されたパレスチナ女性)これからどうすればいいんですか・・・」






事実は小説よりも奇なり
そう思わずにはいられなかった、あのフランス人兄弟のカメラ映像。
新人消防士のドキュメンタリーを撮っていたはずが、偶然運命の瞬間を記録に残すことになろうとは誰も予想してなかっただろう。
見ていて私はこれが現実なのか、再現なのか分からなくなることもしばしばだった。
あれはどんな映画でも適わない。
なぜなら”現実”だから。


1年前のこの瞬間、私は兄と一緒に「ウソコイ」というドラマを見ていた。
その最中に最初の飛行機が突っ込み、その回は後日再放送となったのを覚えている。
あれは紛れもなく歴史的な瞬間だったんだと・・・。


1年後の今日、瓦礫の跡形のなくなったグラウンド・ゼロを見て少し切なくなった。
あの光景を忘れそうな気がして怖くなったから。でもそんなことを私に言われるまでもなく、
関わった人たちは生涯忘れることなんて出来ないのだ。
あの跡地を追悼の念を捧げられるような場所にして欲しい人、新たなWTCを復活させようとする人。思惑はそれぞれだ。
悲しいけれどあの瞬間で立ち止まっているわけにはいかない人々がいる。
生きている限り、生活している限りそれは避けられないこと。
でも、たとえ形が変わろうと全ては人の中に残る。
体が、形が無くなろうとも、その人が存在していた証はずっと生き続けている。




忘れないこと
We will never forget



あなたのこと、忘れたくない。


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らんまる